Sunday, January 31, 2021

関口存男「趣味のドイツ語」

Das Leben ist ein Sport

Der pessimist1 sagt: Das Leben ist ein Traum. Der Optimist sagt: Das Leben ist ein Speil2. Der Realist sagt: Das Leben ist ein Kampf3. Der Idealist sagt: Das Leben ist eine Schule4.

Ich bin kein Pessimist, sondern Optimist, Realist und Idealist zugleich5. Für6 mich ist das7 Leben ein Sport.

Was ist Sport? Sport ist ein Spiel. Sport ist ein Kampf. Sport ist eine Schule.

Hat das Leben einen Sinn, einen Zweck? Ja und nein8. Warum? Weil es ein Sport ist. Der Sport hat keinen Zweck; er ist ein Selbstzweck9. Der Sport hat keinen Sinn, er macht Spaß10.

Auch das Leben ist ein Selbstzweck: Man11 lebt nur, um zu12 leben. Weiter13 hat es keinen Sinn. Es ist ein Unsinn14, wenn man will15, aber ein Unsinn, der16 furchtbar17 Spaß macht. Es ist nur ein Spiel, wenn man will, aber dieses18 Spiel ist gerade19 so20 spannend21 und ernst wie22 der Sport!

逐語訳:Der Pessimist 悲観論者は sagt 云う:Das Leben ist ein Traum: 人生は夢であると。Der Optimist sagt: 楽観論者は云う:Das Leben ist ein Spiel 人生は遊戯であると。Der Realist sagt: 現実主義者は云う:Das Leben ist Kampf: 人生は闘いであると。Der Idealist sagt 理想家はいう:Das Leben ist eine Schule 人生は道場なりと。
 Ich bin kein Pessimist わたしは悲観論者ではなく sondern て zugleich 同時に Optimist, Realist und Idealist 楽観論者と現実主義者と理想家と[である]。Für mich 私にとっては das Leben 人生は ein Sport 一つのスポーツ ist である。
 Was ist Sport? スポーツとは何か? Sport ist ein Spiel スポーツは遊びである。Sport ist ein Kampf スポーツは闘いである。Sport ist eine Schule スポーツは道場である。
 das Leben 人生は einen Sinn 一つの意味を、einen Zweck 一つの目的を Hat? 持っているか? Ja und nein 然り、而して否! Warum? 何故か? Weil いかんとなれば es (=Leben) それは ein Sport 一つのスポーツ ist である[からだ]。Der Sport hat keinen Zweck スポーツは目的を持たない。er ist ein Selbstzweck かれは自己目的である。Der Sport hat keinen Sinn スポーツは意味を持たない er macht nur Spaß それはただ娯楽をなすのみ。
 Auch das Leben 人生もまた ist ein Selbstzweck 一つの自己目的である。Man 人は nur ただ um zu leben 生きるために lebt 生きている[きりのはなしである]。Weiter それ以上 es それは keinen Sinn 何の意味も hat 持たぬ。Es (=Leben) それは wenn man will もし人が欲するなら(=なんなら) ist ein Unsinn 一つの無意味である。aber 然しながら furchtbar おそろしく(=非常に) Spaß macht 娯みをなす der ところの ein Spiel ただ遊戯である[にすぎない] aber けれども dieses Spiel 此の遊戯は der Sport スポーツ wie と gerade ちょうど so 同様に spannend 緊張した und そして ernst 真剣(深刻)な[もの] ist であるのだ。

:【1】Pessimist (悲観家):発音のアクセントは最後の -ist のところにあります。何々主義者、何々「家」を意味する此の -ist という語尾は必ずそうです、次に出てくる Optimist, Realist 等すべて同じ。
【2】Spiel, n: 動詞は spielen (遊ぶ)、英の play
【3】Kampf, m: 動詞は kämpfen (闘う)
【4】Schule, f: 「学校」ですが、一般に「道場」即ち修行するところ、力を鍛える所を Schule といいます。
【5】zugleich (同時に):此の語は、列挙される語のうしろに置くことが多いので、こんな変な位置にきています。たとえば Ich bin alt und jung zugleich. (僕は年寄であって同時に若い)こういう時には英語は both を用い、ドイツ語の zugleich とは逆に前に置きます:I am both old and young.
【6】für mich: für は『……にとっては』(英:for)という前置詞。für mich は、僕にとっては、即ち「僕の見る所を以てすれば」です。
【7】ist: 此の ist の位置に注意。正順は Das Leben ist ein Sport für mich ですが、für mich を先に出すと、主語と動詞とが逆になります。これは一般にそうです。ドイツ語では、主語以外の語句が先頭に置かれると、その次には動詞をおくのです。
【8】Ja und nein: 然りでもあり否でもある、という時に用いる句です。
【9】Selbstzweck, m (自己目的):哲学用語で、「自己目的」というのは、「それ自身の目的がそれ自身にあるもの」ということです。すなわち、スポーツならば、スポーツは別に健康のためにやるのでもない、名誉のためにやるのでもない、営利が目的でもない、要するに「スポーツの目的はスポーツそのものにある」(即ち単におもしろいからやる)ということができるでしょう、これを自己目的と云います。万引などもそうで、お金持の婦人が単に万引きするのが面白ろくて万引きするのがある、あれは万引きを自己目的としてやっているのです。人生もそれで、別に生きてどうと云うことは何もない、人生の目的は人生そのものにある、即ち自己目的です。
【10】macht nur Spaß: 此の Spaß machen (娯しみをなす)というのは「面白い」「興味がある」という熟語です。Spaß, m は「冗談」「洒落」あるいは「娯楽」です。
【11】man: 「人は」、「世人は」あるいは「吾人は」と訳しても好い場合があります、茲がその好例。
【12】um zu: これは英の in order to にあたり、「……せんがために」という意の形式です。次に不定形を置きます。um zu handeln (行動せんがために)、um zu gehen (行かんがために)、um zu sehen (見んがために)など。
【13】weiter: 「それ以上にわたっては」、「それ以外には」という副詞。(次の hat es という逆順に注意。正順ならば Es hat weiter keinen Sinn.)
【14】Unsinn: Un- というのは「非」、「無」、「不」等の意の前綴です。Unsinn はいわゆるナンセンス、即ち英の nonsense です。「意味を成さないこと」、「馬鹿々々しいこと」、「無意味なこと」等。つまり「本気に取ると飛んだバカを見ること」を Unsinn というのです。たとえば「一日に二度あって一年に一度しかないものは何?」という謎があります。本気に考えると、そんな論理に会わないことはないとしか考えられない。それはあんまり糞真面目に考えるからで、答は、「それはチという仮名だ」というナンセンスなのです。人生も然り。人生も一つのナンセンスなので、機智を以て之を解決するを要す。
【15】wenn man will (もし人が欲するならば):というのは、「もし人がそう云う風に言うことを欲するならば」という意味の常用句で、つまり「なんならそう云ってもよかろう」という時に用います。
【16】der: これは冠詞の der ではなくて、関係代名詞です(逐語訳を研究すること)。英の which または that。関係代名詞があると、その次に来る文は、動詞が一番最後に来ます(macht)。
【17】furchtbar (おそろしく):これは「非常に」という語。
【18】dieses Spiel: Spiel は中性ですから dies- に -es という語尾がつきます。
【19】gerade: ちょうど(英:just
【20】so: この so は als と対立して so......wie...... が英の as......as...... にあたります。『云々と同じ程云々である』『云々と同程度に云々である』
【21】spannend: 緊張した、張り切った、片唾をのませるような、息もつまるほどの、手に汗をにぎるような。
【22】wie: 此の説明は註19にある通り。wie の代りに als とも云います。

意訳:悲観家は曰く:人生は夢だ。楽天家は曰く:人生は遊戯だ。現実主義者は曰く:人生は闘争だ。理想主義者は曰く:人生は道場だ。
 私は悲観論者ではない。楽天主義者であり現実主義者であり同時に理想主義者である。私の意見を以てするならば、人生は一つのスポーツなのである。
 スポーツとは何ぞや? スポーツとは即ち一場の遊戯である。スポーツとは即ち一場の闘争である。スポーツとは即ち一つの道場なのである。
 人生には何か意義のようなものがあるか? 目的のようなものがあるか? あるようでもあり、無いようでもある。それは何故か? それは即ち人生は一種のスポーツだからである。スポーツに目的はない、スポーツはそれ自身が目的である。スポーツに意味はない、それはただ面白いというきりなのである。
 人生も亦、それ自身が目的である。吾人はただ生きんがために生きているにすぎない。それ以上別に何の意味もないのだ。なんならナンセンスと云ってもよかろう。ただし、すこぶる面白いナンセンスなのである。なんなら一場の戯れにすぎぬと云ってもよかろう。しかしその戯れたるや、その迫力、その真剣味は実にスポーツのそれに彷彿たるものがあるのだ!

Tuesday, January 26, 2021

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 138-140)


範例


He bowed me in (out, upstairs, downstairs, etc) with great civility.

彼は非常に鄭重に頭を下げて私を内へ通し(送り出し、二階へ通し、階下へ見送つ)た。


解説


To bow (any one) in, out, up, down, etc.

  =To accompany or usher in, out, up, down, etc.

  頭を下げて内へ通し、送り出し、二階へ案内し、階下へ送る。


 また己れ自ら禮をして内に入り又外に出る等の時には Reflexive Ronoun と共に用ひらる。例


    He bowed himself out of the room.

    彼は頭を下げて室を出た。


用例


1.  I saw the station master bow them into the carriage.

    C. Dickens

    驛長が頭を下げて彼等を馬車に乗せるのを見た。


2.  Returning from bowing out Dr. Sneyd with much civility.

    Ht. Martineau

    頭を下げていと鄭重にドクトルスニードを送り出して歸つて來て、云々。


3.  He and his chamberlains bow her up the great stair to the state apartments.

    W. M. Thackeray

    彼と侍從は頭を下げて会場の大廣間へ彼女を案内した。


4.  He bowed them away, in a dignified and graceful manner, still standing on the hay-cart.

    Mrs. Craik

    彼は猶ほ枯草車の上に立て居て、威嚴の有る上品な態度で、禮をして彼等を去らせた。


5.  I took from their sconces two flambeaux, and giving one to Fortunato, bowed him through several suites of rooms to the archway that led into the vaults.

    E. A. Poe

    私は隱し場所から二本の松明を取り、一本をフォーチュナトーに渡し、幾つも續いて居る室を通つて禮をしながら彼を案内し、納骨窖に入る門の所まで來た。


6.  Those venerable and feeble persons were always seen by the public in the act of bowing, and were popularly believed, when they had bowed a customer out, still to keep on bowing in the empty office until they bowed another customer in.

    C. Dickens

    これ等の爺さん達は外から見ると、いつ見てもお辭儀をして居て、何でも一人の客を送り出すとそのまゝ空つぽの店でお辭儀をしてゐて、また次の客を迎へ入れると云ふ事であつた。


7.  It certainly did not seem probable that Mr. Watson would maliciously knock over his own chimney, and lawyer Hackett, who had the case in hand, bowed himself out of the Admiral's cabin convinced that the right man had not been discovered.

    T. B. Aldrich

    云ふまでも無くワトソン氏が惡意を以て自分の煙突を打ち倒すと云ふ事は有りさうに見えない、それでこの事件を引受けて居た辯護士のハケツト士は犯人がまだ發見されないものと信じて頭を下げて提督の小舎を出て行つた。

Friday, January 22, 2021

ベン・エイムズ・ウィリアムズ「いたずら」(1933)

ベン・エイムズ・ウィリアムズ(1889-1953)は南北戦争を描いた House Divided (1947)で有名な作家だが、ミステリもいくつか書いている。わたしが今回読んだのは「いたずら」という、メーン州の田舎町を舞台にした短めの小説である。前半はニューイングランドの田舎の生活が匂い立つような描写がつづくが、後半に入ると殺人事件が起きる。しかしミステリかというと、そうではない。ジャドという障害を持ち、心のねじけた男が、嘘をつきまくって田舎町の小さな共同体に波乱を引き起こそうとするのだが、結局みずからの目論見におぼれて命を失うという、モラリスティックな内容となっている。

べつに面白い小説ではないのだが、ジャドにはイアーゴのような悪の魅力を少しだけ感じた。冒頭で彼は見知らぬ旅人に道を聞かれるのだが、もちろん彼はでたらめを教える。彼は人が困ることを想像するのが大好きなのだ。他の人の境遇にたいする羨望の念が悪意に転化しているのだ。彼は田舎町(フラターニティ、つまり友愛という町だ)で陰湿ないたずらを繰り返す。男の子がお母さんのおつかいで砂糖を買いに来ると、彼が見ていないすきに砂糖の入った袋の位置を変え、男の子が振り返ったとき、その肘が袋に当たって中身がぶちまけられるようにする。しかしこんな男に町の人は注意したり抗議したりしない。ジャドは異常に執念深く、恨みを抱くととことん相手にいやがらせを繰り返すからだ。

彼は恨みを抱いているある男が殺人事件に関わっていることを見出し、それを保安官に伝える。彼の証言にもとづいてその男は拘留され、ジャドはしてやったりと大満足だ。ところがジャドの証言が必ずしも正確ではなく、犯人がほかにいる可能性もあることを拘留された男の兄が見事に証明する。兄はさっそく保安官にその話をしに行くのだが、ジャドは気に入らず、見つかった新証拠を消してしまおうとするのだ。ところがその途中で彼は命を落とす。

コミュニケーションとその齟齬、悪意と正義などといった主題が読み取れ、わたしはこういうものに着目する作家はわりと好んで読むほうだ。代表作は二三冊読んでおこうという気になった。

Monday, January 18, 2021

アメリカにおけるパブリックドメイン

日本の著作権法では作者の死後五十年でその作品はパブリックドメイン入りする。しかしアメリカでは発行年が問題となる。2021年になると同時に1925年に発行された本がパブリックドメイン入りした。来年は1926年に発行された本がパブリックドメイン入りすることになる。だから同じ作者の本でも、発行年によってパブリックドメイン入りするものと、しないものがあるわけだ。日本やカナダとはまったく違うシステムになっている。

さて1925年に出版された本にはどんなものがあるのか。有名なものでは

フィッツジェラルド「グレイト・ギャツビー」

ウルフ「ダロウエイ夫人」

ヘミングウエイ「われらが時代に」

ドライサー「アメリカの悲劇」

ドス・パソス「マンハッタン・トランスファー」

ルイス「アロウスミス」

ハクスレイ「不毛なページ」

モーム「彩られたヴェール」

などがある。言うまでもないが、アメリカにおいては世界中のすべての本に関してアメリカの著作権法が適用される。だから日本においてはいまだ著作権の保護対象である作品も、アメリカではパブリックドメインというケースが生じる。日本もまったく同様で、死後五十年経てば、日本国内においては世界のどこの作家もパブリックドメイン入りする。

以前このブログに書いたが、日本やカナダにおいて本年は大物作家が多数パブリックドメイン入りする、ずいぶんと景気のいい年となった。アメリカにおいても同様だろう。アメリカはミッキーマウス法のおかげで二十年間パブリックドメインが閉ざされた状態だったからなおさらうれしいラインアップである。

じつは先程調べて驚いたのだが、上に挙げた作品のうちハクスレイの「不毛なページ」が翻訳されていないようだ。詳しく調べないとわからないが、おそらく未訳である。今は人気がないのかも知れないが、ハクスレイみたいな重要な作家の作品が訳されないまま終わっているというのはどういうことだ? また「グレイト・ギャツビー」は一月十七日にプロジェクト・グーテンバーグによって電子化され一般公開された。

Friday, January 15, 2021

ジョン・ラッセル・ファーン「ネビュラX」(1950)

ジョン・ラッセル・ファーンはウエスタンや犯罪小説やSFを多数残したイギリスのパルプ作家だ。本作はSFなのだが、人間そっくりのエイリアンが人を殺しまくるので犯罪小説のようにも読める。

ランス・バーレイが高圧電流を利用する物質変換機を使っていたところ、突如変換機の内部に半裸の若い女があらわれた。びっくりして同僚と彼女を外に引っ張り出すのだが、意識を取り戻した女は人間の姿はしているがなんとエイリアンだった。

目の色は次々と変わるが、それを除けば魅力的な地球の女と変わらない。いったい何が起きたのか、彼女をどうすればいいのかとランスと同僚がおしゃべりをしていると、そこに実験所の所長が怒鳴り込んできた。作業がいつまでも終わらないので様子を見に来たのだ。そして裸に近い女を見て、ランスと同僚が仕事をせずにお楽しみに耽っていたものと勘違いする。おかげでランスも同僚も首になってしまうのだ。

しかし若い女を放っておくわけにもいかず、ランスは彼女を自宅に住まわせ、言葉を教える。そのうちにネビュラと命名されたこの謎の女はかつて地球人に星を滅ぼされたエイリアンで、地球人を憎み、地球を征服しようとしていることがわかった。彼女は手始めにランスの妻と子供たちを殺害する。

これぞパルプといった感じのしっちゃかめっちゃかな物語展開。しかしこの作品にはひとつだけリアリティがある。エイリアンのネビュラは恐ろしく魅力的な女なのだが、地球征服のもくろみがわかるまえから、不思議な不気味さをたたえている。この不気味さは、われわれが愛する人や隣人や親しい人に、あるときふと見出す不気味さと同じものではないだろうか。わわわれは相手をよく知っているように思っても、じつは相手のなかにはわれわれの知らない、近づき得ないある種の核があって、それに遭遇して思わず驚き、たじろぐものだ。結婚相手や親しい友人のふとした仕草、振る舞い、言葉に、この人にこんな側面があったのかと、ぎょっとしたことはないだろうか。ラカンはその不気味な核のことを享楽と呼び、芸術家もそれを表現しようと幾度も試みてきた。「ネビュラX」のXとはまさに存在の核心にある、しかし名付け得ないなにものかを指す。

もう一点、ネビュラの破壊欲求がナチズムの体験から生まれていることは間違いない。よくあることだけど、現実逃避的であればあるほどその作品は現実から強い影響を受けているものなのである。

Monday, January 11, 2021

関口存男「趣味のドイツ語」

これからしばらくは関口存男の「趣味のドイツ語」から読本の部を紹介する。

Das Denken

Du denkst zu1 viel, lieber2 Freund! Das ist dein Unglück3. Denn4 wer5 zu viel denkt, handelt wenig6. Und wer wenig handelt, verpaßt7 den Bus8.

Ich verpasse den Bus nie9. Der Lebensbus10 hat immer einen Platz für mich bereit11. Und12 warum? Weil13 ich wenig denke und viel handle14. Ich bin kein Träumer15. Ich bin ein Realist16.

Träumer, dein Denken ist kein Denken, sondern17 nur ein Grübeln18.

逐語訳: lieber Freund! 親愛なる友よ! Du 君は zu viel あまりに多く denkst 考え[すぎ]る。Das それは dein Unglück 君の不幸 ist である。Denn なぜなれば zu viel あまりに多く dennkt 考える wer 者は wenig 少なく handelt 行動(実行)する。Und そして wer wenig handelt 少なく行動する者は den Bus バスを verpaßt 逸する。
 Ich 僕は den Bus バスを nie 決して verpasse 逸さ[ない]。Der Lebensbus 人生のバスは immer 常に(何時も) einen Platz 一つの場所を(座席を) für mich 僕の為に bereit 用意して hat 持っている。Und そして warum なぜか? ich 僕が wenig denke 少なく考え und そして viel handle 多く行動する Weil からだ。Ich bin kein Träumer 僕は夢想家ではない。Ich bin ein Realist 僕は現実主義者だ。
 Träumer 夢想家よ dein Denken 汝の思索は ist kein Denken 思索ではない sondern むしろ nur ただ ein Grübeln 思案[であるにすぎない]。

: 【1】zu viel: この zu は、英語の to に相当する普通の zu ではなくて、too に相当する zu です。すなわち『余りにも……(云々過ぎる)』の意。zu viel は too much
【2】lieber Freund: lieber は lieben (愛する)という動詞ではなく、lieb (親愛なる、好ましい、英の dear)という形容詞です。用例:Das ist mir lieb. それは私にとって喜ばしい。それはうれしい。
【3】Unglück: 「不幸」、「禍」(反対は Glück, n. 「幸福」。この語は英の luck と同語源で、それに前綴 Ge- がついて Gelück となったのがつづまったもの)。
【4】denn: 英の for (何故というに)と同じ。理由をあげる時には denn (for) を用いたり、weil (because) を用いたりします。
【5】wer: これは元来は『誰?』という疑問詞です(Wer bist du? おまえは誰か?)、しかし wer zu viel denkt (余り多く考える者は)といったように、動詞をおしまいに置いて用いると『およそ誰でも……する者は)という文ができます。『誰があまりに多く考えるか?』という疑問文ならば動詞は英語の場合と同じ位置に来て Wer denkt zu viel? となります。
【6】wenig: これは「少く」(英:little)という語ですが、用法の上から云うと一種の否定詞です。handelt wenig は「少く行動する」と云っても間違いではありませんが、しかしぴったりとした訳をつけるとすれば「大して行動しない」と云った方が徹底します。肯定の方の、即ち「少しばかり」の意には ein wenig (英:a little)を用います。此の関係は英独仏三語に共通です:『彼は少しばかり実行する』は英:He acts a little; 独:Er handelt ein wenig; 仏:Il agit un peu. 『彼は大して実行する所がない』は英:He acts little; 独:Er handelt wenig; 仏:Il agit peu.
【7】verpaßt: 不定法は verpassen ですが、-t という語尾の前では ss は ß に書きかえます。ß という活字が無いときには ss でもかまいません。verpassen は英語の miss で、要するに『取逃がし』たり、『つかまえ損なっ』たり、狙いを『外し』たり、長蛇を『逸し』たりするのがすべて verpassen です。我国でもハイカラな人はよく英語を使って「ミスする」ということを云います。ミスミス取りのがすからでしょうか?オールドミスというのも、好い縁談があったのを悉くミスしちゃったからそれでミス……と云うのかどうか、それはまあ英語の先生に訊いて下さい。要するに verpassen はちょうと英語の miss です。
【8】Bus, m: これは英語の bus (バス)と同じ。Autobus [オトブス](乗合自動車)の省略形です。それから重要な注意:この「バスをミスする」「バスに乗りおくれる」という逸り言葉は、まさか御存じない人はなかろうと思いますが、これは最近しきりに使われた用語で、つまり「時勢に便乗しそこねる」ことです。
【9】nie: 「決して」で、これを使うと nicht という否定詞は不要です。英は never、独は nie、nimmer、niemals の三つとも同意に用いられます。
【10】Lebensbus, m: 人生バス。即ち Der Bus Leben (人生というバス)というに同じ。こういう語は辞書になくても勝手に造ることができます。
【11】bereit: 英の ready です。Ich bin bereit (私は仕度ができています)。
【12】und warum?: なぜ und が這入っているかというと、『してそのわけは?』だからです。
【13】weil: 前述の如く英の because です。英の forbecause との差はちょうど独の denn と weil との差です。この場合の如く、前に warum? と問うてある直ぐ後では必ず weil を用い、denn は決して用いません。それから weil を用いると、その次の文の動詞は一番うしろに置かれます(weil ich denke wenig ではなく、weil ich wenig denke です)。
【14】handle: handeln は ich handele の e を一つ省いて handle とします(口調上そうなるのです)。
【15】Träumer, m: Traum, m. (夢)と関係して träumen (夢想する)という動詞があり、それから造ったのが Träumer です。
【16】Realist, m: この反対は Idealist (理想家、観念論者)「現実主義」は der Realismus [レアスムス]といいます。
【17】sondern: これは英なら but です。此の語は、まず否定の文が先にあって、その次に、それと同じ内容の事を肯定で云いなおす時に、間に挿んで用いる接続詞です。「そうではなくて」、「然らずして」或いは全然訳語は用いなくてもよろしい。逐語訳の所に「むしろ」とあるのは、この場合だけに通用する方便上の訳語と思って下さい。
【18】ein Grübeln: grübeln (くよくよ考える、深く考えこむ、同じことをいつまでもしつこく考える)という動詞を名詞に用いたもの。こういう風に、動詞の不定形をそのまま名詞として用いることが非常に多いのです。そうすると性はすべて中性として扱います:das Denken (考えること)、das Grübeln (糞思案、思いあぐみ)、das Leben (生きること、人生、一生、命)など。

 意訳:親愛なる友よ、君はあまり考えすぎる。それは君の為にならない。なぜというに、考えすぎる者にかぎって実行が足りないからだ。そして実行の足りない者はバスに乗りおくれる。
 僕は決してバスに乗りおくれない。人生のバスは何時も僕のために席を取っておいてくれる。それは何故か? それは僕が思案を少なくし、実行を多くするからだ。僕は夢想家ではない。僕は現実主義者なんだ。

Saturday, January 9, 2021

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 136-138)


範例

(a) I am in duty bound to stand by him.

(b) I am in honour bound to stand by him.

(c) I am in courtesy bound to stand by him.

(a)義務上彼を助けねばならぬ。

(b)名譽上彼を助けねばならぬ。

(c)禮義上彼を助けねばならぬ。


解説

To be......bound.

  =To have under obligation.

  = To have as a duty.

    ……せねばならぬ。

  ……する義務有り。


参考

 It is my bounden duty to stand by him.

  是非共彼を助けねばならぬ。


用例

1.  Well, sir, when I threw open the gate for you, I wished you a happy Christmas, as I considered myself in duty bound to do.

    N. E. R. IV.

  「で、私はあなたの爲に門を開けてクリスマスに目出度うと申しました、さうす可きだと思ひましたから」。


2.  Yourself ( I am glad to remember it) chose your brother for this perilous service, and you are bound in duty to have a guard upon his conduct.

    R. L. Stevenson

    わしは幸に覺えて居るが、お前自身がこの危険な仕事の爲に自分の弟を撰んだのであるから義務上彼の行を監督せねばならぬ。

yourself は you より語勢強し、have a guard upon を監督す。


3.  He had bent down, as he considered himself in courtesy bound, to kiss her face when he bade her adieu; but it was no lover's kiss that fell so lightly on her lips.

    M. Clay

  彼は女に暇を告げる時に禮義上さうせねばならぬと思つたから腰を屈めて其顔に接吻したが、併し女の唇に輕く落ちた其接吻は決して戀人の接吻ではなかつた。

bade her adieu 「彼女に暇を告げた」 a+dieu (=to God) は佛語より來り英語の good bye に當る。


4.  At last I sat down, and bethinking myself of my faithless widow (I wound up every day regularly by dreaming, as in duty bound, of this lady), I pulled out one of her letters.

    Turgenev

    終に私は腰を卸した、それから例の不實の寡婦の事を思ひ出して(私は是非せねばならない事のやうにこの女の事を思ひ出しては毎日缺かさず自分の感情を引き締めて居た)其手紙の一通を引き出して見た。

bethinking  myself of 「を思ひて」 bethink には斯く reflexive Pronoun を用ふ。wound up 時計を巻くと同じ意にて忘れぬやうにすること。


(wind up は、この場合、べつにそんなことをする気はないけれど、結局そうしてしまう、という意味。忘れぬようにするとか、感情を引き締めるという意味ではない)


5.  "Oh! you are a rum un, you are," replies the old woman, laughing extremely, as in duty bound; "I wish I'd got the gift of the gab like you; see if I'd be up the spout so often then!"

    C. Dickens

    「おや、お前さん、本當に口が惡いよ。お前さんのやうに口が廻りやうまいもんだがね、さうすりや、わし等あ、しよつちゆう七つ星やんかへ來るもんかね」と義理にも笑はねばならぬやうに無闇に笑ひ乍ら婆さんは答へる。

  rum un (=one) は queer fellow (可笑しな人)。you are は初の you're を反復したるもの。gab は口の俗語にして轉じて「くだらぬお喋り」の意となる。up the spout (=at the pawn broker's) 質屋へ行く。


6.  Of the creation of this world we have a thousand contradictory accounts; and though a very satisfactory one is furnished us by divine revelation, yet every philosopher feels himself in honour bound to furnish us with a better.

    W. Irving

    此世の創造に就ては幾多の矛盾した話が有る、而て天啓に依て極めて満足す可き話が輿へられて有るけれども各哲學者は面目上更に善き話を吾人に輿へる義務が有ると思つて居る。

Tuesday, January 5, 2021

関口存男のドイツ語

 今まで権田保之助著有朋堂発行「基準独文和訳法」をこのブログに載せてきたが、どうも訳文が生硬すぎて気に入らない。さいわい去年、関口存男の参考書をネット上に見つけて、かなりじっくり読むことが出来た。やや饒舌すぎるが勘所を押さえていて初学者にも上級者にも有益なヒントを含んでいる参考書、あるいは研究書だと思った。しかも訳文も明解だ。だから関口の本を電子化したいと思っては来たのだが、初級文法から順々に打ち込んでいくのはちょっとかったるい。どうしたものかと思い悩んでいたのだが、ふと読み物の部分だけを各種の参考書から集めてきてまとめるのがいいんじゃないかと気がついた。関口の注釈は微に入り細を穿つ詳しさで、よくわかる。中級、上級文法も簡潔に説明されているので、一応ドイツ語の初級をマスターし、これからドイツ語の本を読むぞと考えている人にはうってつけの参考書になるにちがいない。

内容が古いのは仕方がない。綴りも古いままである。しかし初級文法をマスターしたくらいの人なら、今世紀に入ってから使われ出した新しい表記法など、見たらすぐわかるし、十九世紀や二十世紀の著作を読むなら関口の解説は有用きわまりないと思う。

というわけで今年は気分を新しくして関口の参考書をこのブログで紹介する。英語の Collection of English Idioms はそのまま継続。


Sunday, January 3, 2021

図書館閉鎖論

知をないがしろにする態度は日本の政治家に限られたものではない。アメリカにもブラジルにも中国にもイギリスにも見られる。

イギリスではロックダウンの結果、図書館が閉鎖されつづけている。その状況を見て地方議会の保守系議員がこんなことを言ったそうだ。「過去四ヶ月か五ヶ月のあいだ使われなかったものなど、われわれにとって本当に必要ななのか」

イギリスでは新自由主義が世界を席巻するようになってから、図書館に対する予算が削減されたり、ボランティアの運営に任されるケースが増えているのだが、今回の政治家の発言はその流れに乗ったものといえるだろう。しかし図書館が閉鎖されていたのはロックダウンという政府の政策のためであって、必要性とは関係が無い。それどころか逆に閉鎖された故にコミュニティーの活動が減ってしまったと考えるべきである。それに知が広く国民に行き渡ることは、国力の強化につながる。十八世紀から十九世紀にかけてイギリスが異常な発展を遂げたのは、教育機会を拡充し、国民の知的レベルを向上させ、新たな時代に適応できる人材を育てたからである。それとは逆に日本はここ十数年、教育を軽視してきたため、人材不足が深刻化してきている。企業のイノベーション能力も、大学のレベルも落ちる一方だ。

歴史も現在の世界的状況も知らない連中が社会の方向性を決めているのかと思うとぞっとする。

英語読解のヒント(145)

145. 付帯状況の with 基本表現と解説 He was sitting, book in hand, at an open window. 「彼は本を手にして開いた窓際に座っていた」 book in hand は with a book in his hand の...