イギリスには「ローマン・ウォール」とか「ハドリアンズ・ウォール」と呼ばれる、石の防壁があって、国を東西に横切っている。二世紀にローマに侵略されていたころ(ハドリアヌス皇帝の時代)作られたものでイングランド北部と、スコットランドの近くに二つあり、世界遺産にも指定されている。イギリス版千里の長城である。
本書の主人公は、今は落ちぶれているものの、昔は羽振りをきかせていたであろう地主の末裔で、アンソニー・ジュリアンという名前だ。このジュリアン家の所有地にはローマン・ウォールが存在し、これにまつわる奇妙なうわさが昔から伝わっていた。この壁のどこかに秘密の通路があって、そこから地下の世界へ行けるというのである。ジュリアン家の先祖には行方不明となった者もいるのだが、それはこの秘密の通路に入り込んで出られなくなったからだと言われている。アンソニーの父親はこの伝承に取り憑かれ、必死にこの通路を探し、あるとき彼の姿は消えてしまう。そして父のあとを追って、偶然この通路に落ち込んだアンソニーも地下世界へと向かうことになる。
そこでアンソニーが発見したものは、ラテン語を使って精神交感する人々、つまり音声言語を使わず、テレパシーのように思考を伝えることのできる人々だった。さらに彼らの統率者は人生の意味や幸せを決定し、すべての人がその思想を受け容れている。いや、受け容れるというより、彼らは精神を乗っ取られ、その思想を植えつけられるのである。その結果、地下世界の末端の人々は、まるで living dead (ゾンビ)のように、あるいは自動人形のように振る舞うのだった。アンソニーはこの地下世界の有り様をさまざまに学ぶが、結局彼らの生き方を受け容れることはできない。彼は父を捜し当て、地上に帰ろうとするのだが……。
この作品にはユートピア小説あるいはディストピア小説のような趣がある。われわれの世界とはまったく異なる世界を描いているようだが、実はそれはわれわれの世界の戯画化であり、われわれの世界が秘めているある要素を極端に描いた世界なのである。たとえば主人公ジュリアンは地下世界の学校へ行き、そこの女教師から「教育の目的は子供たちの創造力を消してしまうことだ」ということを知る。それを聞いてジュリアンは創造力こそ子供のもっともすばらしいところではないかと憤慨するのだが、しかしよく考えれば、われわれの世界でも子供を「しつける」ことで彼らの破壊的なまでの創造性をたわめているではないか。日本ではそれが校則という形で高校生にまで及んでいるではないか。
ジュリアンは地下世界で地上世界の「真実」に直面するのだと思う。そしてその真実に耐えきれずに地上の世界に戻るのだ。これは夢のなかで自分の真実に直面し、その恐ろしさに思わず目を覚ます――つまり現実の世界に逃避するという、精神分析によく出て来る現象とおなじ形を持っている。実際、本書における「地下」とは「下意識」の世界の比喩にもなっている。
こんなふうに考えながら読んでいくとこの本は古いけれども結構面白い。アンソロジストとして有名なカール・エドワード・ワグナーは、本書をSFホラーの傑作と呼んでいるくらいだ。小説として結構がしっかりととのっているし、文章が端正なので落ち着いて読める。会話はほとんどなく、地の文が延々と続くが、そんなに苦にならないのは、やはりストーリーテリングがうまいからだろう。おなじように地底世界を描いた傑作ジョン・ユリ・ロイドの「エティドルファ」だって地の文が延々と続くが、決して退屈せず、むしろわくわくする。これらの作品が地下世界を描いたSFの古典と称されるゆえんだろう。
座り心地のいい椅子に座ってウイスキーを傍らに用意し、静かな夜にじっくり読み込むべき本である。