Thursday, August 29, 2024

ジョゼフ・オニール「イギリスの地下にある国」

 

イギリスには「ローマン・ウォール」とか「ハドリアンズ・ウォール」と呼ばれる、石の防壁があって、国を東西に横切っている。二世紀にローマに侵略されていたころ(ハドリアヌス皇帝の時代)作られたものでイングランド北部と、スコットランドの近くに二つあり、世界遺産にも指定されている。イギリス版千里の長城である。

本書の主人公は、今は落ちぶれているものの、昔は羽振りをきかせていたであろう地主の末裔で、アンソニー・ジュリアンという名前だ。このジュリアン家の所有地にはローマン・ウォールが存在し、これにまつわる奇妙なうわさが昔から伝わっていた。この壁のどこかに秘密の通路があって、そこから地下の世界へ行けるというのである。ジュリアン家の先祖には行方不明となった者もいるのだが、それはこの秘密の通路に入り込んで出られなくなったからだと言われている。アンソニーの父親はこの伝承に取り憑かれ、必死にこの通路を探し、あるとき彼の姿は消えてしまう。そして父のあとを追って、偶然この通路に落ち込んだアンソニーも地下世界へと向かうことになる。

そこでアンソニーが発見したものは、ラテン語を使って精神交感する人々、つまり音声言語を使わず、テレパシーのように思考を伝えることのできる人々だった。さらに彼らの統率者は人生の意味や幸せを決定し、すべての人がその思想を受け容れている。いや、受け容れるというより、彼らは精神を乗っ取られ、その思想を植えつけられるのである。その結果、地下世界の末端の人々は、まるで living dead (ゾンビ)のように、あるいは自動人形のように振る舞うのだった。アンソニーはこの地下世界の有り様をさまざまに学ぶが、結局彼らの生き方を受け容れることはできない。彼は父を捜し当て、地上に帰ろうとするのだが……。

この作品にはユートピア小説あるいはディストピア小説のような趣がある。われわれの世界とはまったく異なる世界を描いているようだが、実はそれはわれわれの世界の戯画化であり、われわれの世界が秘めているある要素を極端に描いた世界なのである。たとえば主人公ジュリアンは地下世界の学校へ行き、そこの女教師から「教育の目的は子供たちの創造力を消してしまうことだ」ということを知る。それを聞いてジュリアンは創造力こそ子供のもっともすばらしいところではないかと憤慨するのだが、しかしよく考えれば、われわれの世界でも子供を「しつける」ことで彼らの破壊的なまでの創造性をたわめているではないか。日本ではそれが校則という形で高校生にまで及んでいるではないか。

ジュリアンは地下世界で地上世界の「真実」に直面するのだと思う。そしてその真実に耐えきれずに地上の世界に戻るのだ。これは夢のなかで自分の真実に直面し、その恐ろしさに思わず目を覚ます――つまり現実の世界に逃避するという、精神分析によく出て来る現象とおなじ形を持っている。実際、本書における「地下」とは「下意識」の世界の比喩にもなっている。

こんなふうに考えながら読んでいくとこの本は古いけれども結構面白い。アンソロジストとして有名なカール・エドワード・ワグナーは、本書をSFホラーの傑作と呼んでいるくらいだ。小説として結構がしっかりととのっているし、文章が端正なので落ち着いて読める。会話はほとんどなく、地の文が延々と続くが、そんなに苦にならないのは、やはりストーリーテリングがうまいからだろう。おなじように地底世界を描いた傑作ジョン・ユリ・ロイドの「エティドルファ」だって地の文が延々と続くが、決して退屈せず、むしろわくわくする。これらの作品が地下世界を描いたSFの古典と称されるゆえんだろう。

座り心地のいい椅子に座ってウイスキーを傍らに用意し、静かな夜にじっくり読み込むべき本である。

Monday, August 26, 2024

村田紗耶香「コンビニ人間」

 


このブログでは日本文学はめったに扱わないけれども、「コンビニ人間」は英訳も出ていて、しかもそれなりに売れたようだ。ガーディアンの書評でも一度大きく取り上げられ、その後もいろいろな記事で何度か言及されている。翻訳文学も英文学の一部と考えるイギリスにおいては、「コンビニ人間」は立派に英文学の一部であると言っていいのではないか。

この作品はある種の「異形の人間」を描いているが、ラカンを学んだ人間には非常に理解しやすい内容になっている。主人公の古倉惠子は子供の時、死んだ小鳥を見て、母親に「これを食べよう」と言う。他の子供たちは「かわいそう」と口々に叫ぶのだが、主人公はなぜ焼き鳥にしていけないのか理解ができない。われわれは生まれてからさまざまな社会規範を学ぶわけだが、主人公はその規範の網の外に位置しているわけだ。社会規範をラカンは象徴界と呼んだが、主人公はそこからずれたところにいる。いや、象徴界とその外部にある現実界の境界線上に立っているというべきだろうか。現実界というのは規範の外の世界、また規範が挫折する領域のことである。古倉惠子はきれいな小鳥の死骸を食べようと言ったとき、社会規範の網を食い破ったのである。

古倉惠子は彼女が住む世界を支配する規範が理解できない。しかしコンビニという空間は、すべてがマニュアル化されていて、それに従っていさえすればよい。なるほど社会と呼ばれるわれわれの空間は、明示的な規範も存在すれば、非明示的な規範もある。それを理解するのは結構むずかしい。たとえば年休の取り方など、規則に示されている取り方を理解しただけではだめなのだ。暗黙の了解というやつが各会社ごとにあって、そちらのほうが重要な「規範」なのである。こういうところは外国人には奇怪なものと見える。古倉惠子は言ってみれば別の世界からこの世界にやってきた異世界人なのである。

精神分析では古倉惠子のような立ち位置をヒステリックの立ち位置と見なす。ヒステリックの典型的な問いは「わたしはなぜあなたがいうような存在なのか」である。わかりやすい例を挙げると、夫に「おまえは主婦だろう。ちゃんと掃除しろ」などと言われ、妻が反論するような場合である。なぜわたしはあなたが主婦と呼ぶ存在でなければならないのか。夫にはある種の考え方、規範があるのだろうが、自分をなぜその規範にあてはめるのか。このとき妻は夫の考える規範から逸れたところに存在している。ヒステリックは象徴界の外から、あるいは象徴界と現実界の境界線上から、象徴界のあり方に異議を唱えているのである。

「コンビニ人間」の後半で古倉惠子は白羽という男と同棲生活をはじめる。白羽も社会に適応できない存在だが、古倉惠子とちがってこちらは精神分析ではパーバートと呼ばれる。変質者とか倒錯者ということだ。ヒステリックと何が違うのかというと、ヒステリックは規範の網の外、あるいは境界線上に位置するが、パーバートは結局のところ規範の内部に存在する。内部において規範から逸れようとする者である。彼らはある意味では進歩的であって、規範から逸脱してみせることで、規範の恣意性を曝露しようとする。しかし彼らは規範から逸れようとはするものの、それは規範への充分な批判とはなりえない。なぜなら規範というのは裏規範を隠し持っており、パーバートのような逸脱をあらかじめ想定しているからである。たとえば軍隊はきわめてヘテロセクシュアルな世界だが、隠微な形でホモセクシュアルな性格を持つことはよく知られている。究極的な選択を迫られればパーバートは規範の側につくだろう。

実際、白羽は古倉惠子に向かって「コンビニで働くのをやめ、会社で働け。そしておれのために金を稼げ」と要求する。典型的な男性中心主義の考えではないか。それに対して古倉が最終的にコンビニ

店員たることを選択する部分は感動的ですらある。彼女は男性中心主義的規範にきっぱりとノーをつきつける。この決然たるノーは何処から来たのか。もちろん彼女の立ち位置、象徴界の限界地点という彼女の立ち位置がそれを可能にしたのだ。この立ち位置は、きれいな小鳥の死骸を食べ、赤ん坊にナイフを突き刺し、暴れる子供の頭をスコップで殴りつけて鎮めるような危険な可能性を秘めている。しかしそこからしかノーの声はあがらない。また、規範がわれわれに押しつけてくる秩序は、暴れる子供の頭を殴りつけるような、危険な暴力をもってしか対抗できないような、これまた恐ろしい力なのだ、とも言えるだろう。

ものを考えるというのは、ものを考えることを可能にする象徴界の限界に身を置くことだとわたしは思っている。作者の村田氏はまさにそのような限界からものを書いている。このような立ち位置を獲得するのはなかなかむずかしいことなのだけれど。



Friday, August 23, 2024

チャールズ・J・ダットン「邪悪の影」

ダットンはマイナー作家のなかでも、さらにマイナーな印象がある。その印象はこの作品を読んでも変わらなかった。

物語の舞台は五大湖の一つの湖畔の町だ。湖のかなたにはカナダが見えるらしい。この町の警察署長を勤めるローガンのもとに匿名の手紙が連続して届く。この町は邪悪な影に包まれている、名士の誰それはしかじかの悪徳に耽るクソ野郎だ、べつのなんとかは……という具合の誹謗中傷の手紙が何通も来たのだ。そんなものは無視すればいいのだが、ローガンはなんとなく気にかかり、友人で犯罪学の教授であるハーレー・マナーズに相談をする。匿名氏が言う「邪悪」とはいったいどんな意味なのか、と教授に尋ねるのである。

ひとしきり話をしたあと、警察署長のローガンは帰るのだが、すぐさまマナーズの家に戻ってきて電話を借りる。道の途中に車が停まっていて、不審に思って中をのぞくと、そこに若い女の死体が転がっていたのだ。医者の診断では死因は心臓発作。心臓発作なら事件にはならないが、なんとその翌日に教会内で牧師がやはり心臓発作で死んでしまう。匿名の手紙のせいで神経質になっていた警察署長は、心臓発作が重なったことに気味悪さを感じ、いずれの死体も検死に附すことにする。するとどうだろう、彼らはどちらも同じ毒薬で毒殺されたことが判明したのだ。

若い女と牧師の間にはどんな関係があるのか、なぜ彼らは毒殺されたのか、どのような手口が用いられたのか、ローガン署長とマナーズ教授の捜査がはじまる。

この作品を読んでいていちばん戸惑ったのは、いったい誰が捜査の主体なのかよくわからなかったところだ。最初はマナーズ教授がその犯罪学の知識を生かして事件を解決するのかと思っていたら、途中から彼の友人で秘密捜査官をしている男が登場し、彼が事件の大きな構図をあきらかにする。で、この秘密捜査官が謎を解き明かすのかと思ったら、今度は彼は背景に引っ込み、教授が事件を解決に導くのだ。なぜこんなふらふらした書き方をしたのだろうか。

また犯行の手口にもいろいろ疑問が残る。具体的に話をするのは避けるが、犯行は計画的と言うより、突発的なものなのに、犯人がちょうど犯行に必要な道具を持っていたなど、あまりにもご都合主義ではないだろうか。

また牧師の死は密室殺人をおおいに匂わせる書き方をしているのだが、その種明かしは……。竜頭蛇尾の典型としかいいようのない結末で、おそらく作者は読者の興味を惹くことだけを考え、トリックなんかなにも用意せず書いていたのだろう。ほかにも物語の展開が変だと思わされた点は多々ある。

構成もふらついているし、物語の細部もきちんと作り込まれていない。マイナーのなかでもマイナーと言われるのはむべなるかなという、粗悪な作品だと思う。

Tuesday, August 20, 2024

ロス・マクドナルド「ウィチャリー家の女」

 

この作品では私立探偵リュー・アーチャーは、ホーマー・ウィチャリーという石油で儲けた富豪から娘のフィービを探してくれと頼まれる。船旅に出るホーマーを船まで見送ったあと、彼女は行方不明になったというのである。アーチャーはいつもの通り手掛かりを追い、チンケな悪党どもの跋扈する世界に迷い込み、一度は不意の襲撃を受けて頭に大けがをし、もちろん人殺しの現場にも出くわす。そして事件の輪郭が見えてきたとき、アーチャーはウィチャリー家そのものと向かい合う。事件の核心はウィチャリー家の外にあるのではない。その内部にこそ闇が潜んでいるからだ。

この本で面白かったのはリュー・アーチャーが依頼人のホーマー・ウィチャリーになりかわってしまうところである。二人がはじめて出会ったとき、ホーマーは言う。「わたしがホーマー・ウィチャリーだ。きみはリュー・アーチャーさんだね」何気ない挨拶の言葉だが、ここでは「わたし」と「あなた」が截然とわかたれている。ところが調査の途中でリューは情報を聞き出すためにわざと自分がホーマーである振りをする。最初のうち、アーチャーは嘘をつく自分に居心地の悪い気分を味わうが、次第に慣れて来るとこんな感慨をもらす。

何度も嘘を繰り返すと心に奇妙な変化が生じる。しょっちゅう口にすることが暫定的な真実になるのだ。わたしはフィービが自分の娘だとなかば本気で信じている自分に気づいた。彼女が死んでいたら、わたしはウィチャリーの喪失感を共有することになるだろう。わたしはすでに彼の妻に対する彼の気持ちを共有していた。

彼は他人の立場に立ち、他人の感情をわがものとして感じてしまう。この不思議な感覚はこの小説を理解する上で非常に大切だろう。なぜなら事件の中心にいるホーマーの娘フィービは、まさにウィチャリー家の個々のメンバーの罪を、わがこととして、一身に引き受けてしまう存在だからである。この小説に於いてフィービが直接描かれることは最後を除いてほとんどないといっていい。しかし彼女の心に起きた「奇妙な変化」はアーチャーの「奇妙な変化」を通して説明されているのである。家族に対するフィービの精神病的反応の仕方は、精神科医によって専門的に解説される場面もあるが、読者がアーチャーの変化に気づいているなら、そしてそれがフィービの反応とパラレルな関係にあることに気づくなら、精神科医の説明はいっそう得心の行くものとして受け容れられるだろう。フロイトに詳しい人なら転移とのからみで彼が挙げているいくつか興味深い症例を思い出すかもしれない。

ロス・マクドナルドの描く「さまよう娘」のなかで私はフィービがいちばん悲劇的な存在だと思う。周囲の人間は好き勝手にやっているだけなのだが、フィービはその罪をすべて背負い込み、自分の罪として苦しむ。DV被害者の子供にはときどきおなじような症状が見出されるが、これはけっして単なる「小説の中の出来事」ではない。


Saturday, August 17, 2024

独逸語大講座(23)

Die ganze Gesellschaft1 begab sich auf einen freien Platz.2 Der Mönch hob3 weinend seine Hände hoch und betete laut zum Himmel empor4: „Gott des Himmels, sieh5 auf uns herab! Entscheide du, da wir Menschen nicht entscheiden können! Sage uns, wem6 von uns das Mädchen gehört. Amen." Das ganze Volt7 rief Amen und wartete still8 auf9 die Antwort Gottes. Das Mädchen, das müde war, hatte10 sich an einen11 Baum gelehnt.12 In diesem Augenblick tat13 sich der Stamm weit14 auf, nahm sie ganz in sich15 hinein und schloß sich wieder zu.16 So, während das ganze Volk sprachlos17 da stand, wurde Holz18 wieder zu Holz. Wie alles auf Erden19 wieder zu seinem Ursprung20 zurückkehrt.

訳。一行は die ganze Gesellschaft 或る野天の広場へ auf einen freien Platz 出掛けた begab sich. 僧は Der Mönch 泣きながら weinend その手を seine Hände 高く hoch 挙げ hob そして und 大きな声で laut 天に向って zum Himmel empor 祈った betete:「天なる神よ „Gott des Himmels, 我等が上を見下し給え sieh auf uns herab! 我々人間共は決裁し能わざるにより da wir Menschen nicht entscheiden können 汝〔これを〕決裁せよ Entscheide du! 我々の中の誰に娘が属するかを wem von uns das Mädchen gehört 我々に曰えかし Sage uns! rief Amen そして und 静かに still 神の答を auf die Antwort Gottes 待った wartete. 草疲れていた娘は Das Mädchen, das müde war, 一本の樹に an einen Baum 凭れていた hatte sich gelehnt. 此の瞬間に in diesem Augenblick 幹が der Stamm ぱっと weit 開いて tat sich auf 彼女を sie すっかり ganz 自分の中へ in sich 取り入れて nahm hinein そしてund また元通り wieder 閉じてしまった schloß sich zu. 斯くの如くにして So 全衆が das ganze Volk 唖然として sprachlos 其の場に da 佇立している stand 間に während 木材は Holz またもや wieder 木材と化してしまった wurde Holz. 凡そ地上に於ける凡ての物が alles auf Erden 復び wieder その根源に zu seinem Ursprung 帰る zurückkehrt が如くに wie.

註。――1. Gesellschaft (英 company)は一行、一座、連中、一同の意。ganz (英 whole)が附いても結局同じ事である。――2. frei は前にも出た如く、自由な、即ち青天の下の、の意。Platz はたとえば日比谷のような、または上野のような、群衆が集合し得る広場を云う。日本の都会には比較的少ないが西洋の町には必ず街路の会するところに円形の Platz がある。Marktplatz というのもそれである。殊に伊太利の都会の piazza (同意)は名高い。――普通 Platz を「場所」の意に用いるが、(即ち Ort, Stelle)それよりも狭義に用いられるのが如上の意味である。――3. heben, hob, gehoben 揚げる。――4. empor= は「ずっと上の方へ」「高く」という意の前綴である。此処では emporbeten という分離動詞として考えても宜しいが、それよりも正しいのは zum Himmel empor (天に向って)と云う句があると覚えることである。――5. sehen に対する命令形。――6. wer (誰)の三格。wer は wer (誰が) wessen (誰の) wem (誰に) wen (誰を)と格変化する。第二巻 166.――7. Volk, n. (英 people)は群衆(Masse)の意に用いる。民族と云う時とは少し意味が違う。――8. still=stumm.――9. warten (待つ)の用法は auf etwas (四格) warten. 即ち warten は auf を「支配」すると云う。――10. sich lehnen は凭り掛かる、の意であるが、此の時に初めて凭り掛かったのではなく、此の時より暫く前に凭り掛かって、此の瞬間には既にもたれて居たのであるから、過去完了を用いたのである。(第二巻 110).――11. 方向と動きとを表わす an 故四格支配。――12. sich lehnen (凭り掛かる)=sich stützen 身を支える。――13. auftun は「あける」――sich auftun は「あく」。――14. weit を「ぱっと」と訳したのは意訳で、本当は「広く」の意。breit と同意。――15. in sich の sich は四格である。「自身の中へ」と方向を指すからである。――16. sich zuschließen (閉じる)=sich zutun, sich zumachen.――17. sprachlos (言葉なく)を「唖然として」と訳して置いた。=los なる語尾は英語の -less に相当する。――18. Holz に冠詞が附いていないのには訳がある。Das Holz と云うと、「木材なるもの」「木というもの」という、一般的な総称となってしまう。たとえば「木材は軽いとしたものだ」(Das Holz ist leicht)と云った様な時には das Holz で宜しいが、木製の娘の場合には、此の娘が直ちに以て木材そのものであるとは云えない。普通の名詞ならば不定冠詞を附けて ein Holz とでも言いたい所である。ところが、木材とか砂糖とか金属とか雪とか云ったようなものは、「量」は持っていても「数」は持っていない。量ることは出来ても数える事は出来ない。勿論 ein Stück Holz (一塊の材木)と考えて、その塊を算えることは出来るが、物質として見たる木材そのものには数は無いのである。こう云う種類の名詞を物質名詞と云って、不定冠詞は附けられない事になって居る。附けるとすれば、一般的に云う際には定冠詞を、或る分量を指す際には無冠詞と云う事になっている。勿論例外はある。たとえば、das ist ein hartes Holz! (こいつは随分固い木材だな)等、形容する時には、「一種の」と云う意味で不定冠詞を附ける。また ein Tuch (風呂敷)なぞと、元来物質名たる Tuch (布)という字を転用する時には不定冠詞も用いられる。――此の物質名詞というものを冠詞の上で区別するのは、ドイツ語のみならず、西洋語全般に亙現象であるから解くに注意する必要がある。――19. auf Erden (此の世では)は熟語。Erde, f. (地、土地、地球)は単数では、女性名詞だから語尾を採らない筈であるが、熟語だから例外である。冠詞が附いていないのも其の為めである。――auf der Erde と云えば「地べたの上に」と云う事になってしまう。――20. Ursprung (英 origin)(根源)は ur= と云う「根源」を意味する前綴と、「発する」と云う springen から成り立っている。(英語の spring 「泉」参照)――Ur= の附いた語の例には Urmensch 原始人 Urwelt 原始世界 Urwald 原始林 Urvater 祖先、宗祖、 uralt 太古の、等がある。

Wednesday, August 14, 2024

英語読解のヒント(130)

130. for (1)

基本表現と解説
  • Then we parted for the night. 「それでわれわれは別れた」

for (……のあいだ)を含む句は訳文に工夫の必要がある場合がある。例文は「それでわれわれは別れ、翌日まで会わなかった」ということだが、for the night を言外に含ませるだけでもよい。

例文1

A deep sorrow spread over the nation on hearing that Washington was no more. Congress, which was in sesseion, immediately adjourned for the day. The next morning it was resolved that the Speaker's chair be shrouded with black; that the members and officers of the House wear black during the session.

Washington Irving, Life of Geroge Washington

ワシントンの訃報にアメリカは深い悲しみに包まれた。開会中の議会はただちに休会し、翌日の朝、議長の席は黒い布で覆われ、議員と役人は会期中、喪服を着用することが決められた。

例文2

"The ladies have gone out for the day, sir," she replied. "I'm sorry to say they won't be back until evening."

J. E. Buckrose, A Bachelor's Comedy

「ご婦人方はお出かけになりましたよ、旦那さま」と彼女は答えた。「残念ですが夜までお戻りになりません」

例文3

At last the act came to an end. The curtain fell, and the people around him began to leave their places for the interval.

R. L. Stevenson, New Arabian Nights

ついにその幕は終わった。緞帳が下りるとまわりの人々は席を立ち上がりはじめた。

 interval (幕間)は intermission とも言う。

Sunday, August 11, 2024

英語読解のヒント(129)

129. foot (2)

基本表現と解説
  • The queen had him at her feet. 「女王は彼を意のままに扱った」
  • The king laid his life at her feet. 「王は女王の(足下)に命を捧げた」
  • The queen trampled his love under foot. 「女王は彼の愛を踏みにじった」

前項に引き続き「権力」という意味合いの foot を用いたほかの表現をいくつか挙げる。

例文1

On his return to England, the first thing he heard when he reached London was that his old friend and playfellow — the girl he had called his little wife — was the belle of the season, with half London at her feet.

Charlotte Mary Brame, Wife in Name Only

イギリスに帰ってロンドンに着き、最初に耳にしたのは自分の旧友にして遊び友達――彼がかわいい妻と呼んでいた娘――が、社交界の花形となってロンドンの男を虜にしているという噂だった。

例文2

The enthusiasm of the Russian nation appeared in the extraordinary rapidity with which supplies of every kind were poured at the feet of the Czar. From every quarter he received voluntary offers of men, of money, of whatever might assist in the prosecution of the war.

John Gibson Lockhart, The Life of Napoleon Bonaparte

ロシア国民の熱狂ぶりは、たちまち各種の必要物資が皇帝の足許に集まって来たことにあらわれていた。あらゆる方面から自発的な人員の提供、お金の提供がなされ、戦争遂行の役に立つであろうものがなんでも差し出された。

例文3

I will lay at your feet, whatever of station of fortune I may possess....

Charles Dickens, Oliver Twist

地位も財産も、一切をあたなに捧げます。

Thursday, August 8, 2024

英語読解のヒント(128)

128. foot (1)

基本表現と解説
  • He knelt at the queen's feet. 「彼は女王の足下に拝跪した」

この foot は「権力」をあらわす。ほかにも fall at one's feet 「足下に伏する」、fling (throw) oneself at one's feet 「足下に身を投ずる・拝跪哀願する」、sigh at one's feet 「足下に嘆息する」などの表現もある。

例文1

A low moan broke from her, and she flung herself at his feet and lay there like a trampled flower. “Dorian, Dorian, don’t leave me!” she whispered.

Oscar Wilde, The Picture of Dorian Gray

低い泣き声がもれた。彼女は男の足許に身を投げ、踏まれた花のように突っ伏した。「ドリアン、ドリアン、わたしを捨てないで」と彼女は消え入りそうな声で言った。

例文2

No woman in England had had better offers of marriage; but she had refused them all. How was it that, when others sighed so deeply and vainly at her feet, Lord Arleigh alone stood aloof?

Charlotte Mary Brame, Wife in Name Only

イギリスでわたしくらい条件のいい結婚の申し込みをいくつも受けた人はいないが、わたしはそれをみんなはねつけてやった。ところが、ほかの人はわたしの足許に跪いて深い無益な吐息をついているのに、アーレー卿だけ素知らぬ顔をしているのはどうしたわけだろう。

 内的独白が地の文として書かれているので、she は「わたし」と訳した。

例文3

Many of the temples were converted into churches, and the the people who had been accustomed to bow down before the statues of Jupiter and other imaginary gods, knelt in humiliation at the foot of the cross.

Samuel Griswold Goodrich, Peter Parley's Common School History

寺院の多くは教会となり、これまでジュピターやその他想像上の神にむかって低頭していた人々は、いまや十字架の下に謹んで拝跪するようになった。

Monday, August 5, 2024

英語読解のヒント(127)

127. get to one's feet

基本表現と解説
  • He got to his feet. 「彼は立った」
  • He rose to his feet. 「彼は立ち上がった」
  • He sprang to his feet. 「彼ははじかれたように立った」
  • He started to his feet. 「彼は驚いて立った」
  • He hurried to his feet. 「彼は急いで立った」
  • He struggled to his feet. 「彼はやっと立った」
  • He staggered to his feet. 「彼はよろめくようにして立った」

ほかにも get on one's feet, get up to one's feet, leap to one's feet などさまざまな類似表現がある。

例文1

I started to my feet as suddenly as if he had struck me.

Wilkie Collins, The Woman in White

わたしは彼にぶたれたかのように突然立ち上がりました。

例文2

"What!" cried the Jew, grasping the coward round the body, with both arms, as he sprung to his feet. "Where?"

Charles Dickens, Oliver Twist

「なんだと!」ユダヤ人はとっさに立ち上がり、臆病者を両腕に抱えながら叫んだ。「どこだ?」

例文3

"Good gracious, two o'clock! I shall be too late for lunch!" and he hurried to his feet.

Anthony Hope, "Which Shall It Be?"

「や、二時か。昼飯に遅れてしまう」と言って彼は急いで立ち上がった。

Friday, August 2, 2024

英語読解のヒント(126)

126. (at) first...then...lastly...

基本表現と解説
  • First the discoloration vanished from the extremities, then from the larger limbs, and lastly from the trunk. 「皮膚の変色はまず指先から消え、次に腕や足、最後に胴から消えた」

「Aをし、つぎにBをし、最後にCをする」といった、数個の動作を起こった順に叙述する表現。

例文1

He seemed to wake up at last out of his entrancement, and the red sun was there before his eyes. He stared at it, at first without intelligence and then with a gathering recognition.

H. G. Wells,

彼はようやく我にかえったようだった。赤い太陽が目の前にあった。彼は太陽を凝視した。はじめは茫然と眺めていたが、次第にそれがなにかわかってきた。

例文2

I began distinctly, positively, to remember that there had been no drawing upon the parchment when I made my sketch of the scarabæus. I became perfectly certain of this; for I recollected turning up first one side and then the other, in search of the cleanest spot.

E. A. Poe, "The Gold-Bug"

黄金虫の図を描いたとき羊皮紙にはほかにどんな絵も描かれていなかったという記憶がはっきりと明瞭によみがえってきた。そのことは絶対間違いない。きれいなところがないかと裏表をひっくり返して見たのを、ぼくは憶えていたんだ。

例文3

Put to the question, he denied at first, then confessed his crime.

Madame La Marquise De Montespan, The Memoirs of Madame de Montespan (translated by P. E. P.)

調べを受けて彼は最初否定したが、その後罪を告白した。

英語読解のヒント(145)

145. 付帯状況の with 基本表現と解説 He was sitting, book in hand, at an open window. 「彼は本を手にして開いた窓際に座っていた」 book in hand は with a book in his hand の...