Friday, September 20, 2024

ロス・マクドナルド「ある人々の死に方」

 


これは高名な作品だから筋を知っている人は多いと思う。一応簡単に紹介すると……

私立探偵リュー・アーチャーはミセス・サミュエル・ローレンスに行方不明になった娘を探してくれと頼まれる。アーチャーは彼女のあとを追って米国西海岸の裏社会、ヤクザやクスリの売人や売笑婦らの世界に足を踏み入れる。すると次々と人が殺され、探偵自身も危険な目に遭う。アーチャーは裏社会にはりめぐされた謀略を見抜き、ヤクザどもを警察の手に引き渡すのだが、その後、もう一度依頼人の家族に目を向ける。なぜならこの事件の本当の闇は、ヤクザなどの裏社会にあるのではなく、この家族のなかにこそひそんでいたからだ。

ロス・マクドナルドは家族の抱える闇に注目する。この闇は必然的に外の社会の闇とつながっているのだが、彼はいつも作品の最後で家族それ自体に舞い戻ってきて、そこにひそむ闇の核心を抉剔する。家族から出発し、社会を放浪し、また家族に戻り、家族内部の闇に直面するという構造は、「エディプス王」をわたしに想起させる。そのせいだろうか、ロス・マクドナルドの作品にはいつも古典的・悲劇的なおもむきがあるように感じられる。もちろん放浪するのが男ではなく女であり、悲劇は高貴な身分の者にではなく、中産階級の一般的な家庭に起きるという大きな違いはあるけれど。

今回再読してもう一つ気がついたのは、アーチャーの人間観である。依頼人のミセス・ローレンスは、人間は善人と悪人に截然と分かたれると考えている。それに対してアーチャーは、人間は必要に応じて善人にも悪人にもなると考える。ミセス・ローレンスの考え方の背後には、神の摂理に支配された、安定した世界観がある。アーチャーにはそれがない。状況次第によって人間はどのようにも変わりうるからである。たとえば娘を心から愛している父親すら、ある種の情況においては娘を殺害することがあると考えている。このような認識はきわめて構造主義的だと思う。ミセス・ローレンスは古い世界観に固執して生きている。その世界観にグリッチが生じ、アーチャーがその修復を依頼されたわけだが、闇の世界を彷徨しながら、彼は古い世界観ではもう生きていけない現実を読者に提示するのだ。それを理解できないミセス・ローレンスの姿は気の毒と言うより、わたしに胸の痛い思いをさせた。

Tuesday, September 17, 2024

AIの翻訳の実力

最近のAIの翻訳力はめざましく向上している。どれくらいのものか、ちょっとためしてみた。チャールズ・リードの代表作「僧院と炉端」の冒頭の一節をいろいろなAIに訳してもらおう。


原文

Not a day passes over the earth, but men and women of no note do great deeds, speak great words, and suffer noble sorrows. Of these obscure heroes, philosophers, and martyrs, the greater part will never be known till that hour, when many that are great shall be small, and the small great; but of others the world's knowledge may be said to sleep: their lives and characters lie hidden from nations in the annals that record them. The general reader cannot feel them, they are presented so curtly and coldly: they are not like breathing stories appealing to his heart, but little historic hail-stones striking him but to glance off his bosom: nor can he understand them; for epitomes are not narratives, as skeletons are not human figures.


グーグル翻訳

地上では、無名の男女が偉業を成し遂げ、偉大な言葉を語り、気高い悲しみに遭わない日はない。これらの無名の英雄、哲学者、殉教者の大部分は、多くの偉大な者が小さくなり、小さな者が偉大になるその時まで決して知られることはないだろう。しかし、他の者については、世界の知識は眠っていると言えるだろう。彼らの人生と性格は、彼らを記録した年代記の中に国々から隠されている。一般の読者は彼らを感じることができない。彼らはあまりにもそっけなく冷たく提示されているからだ。彼らは彼の心に訴える息づく物語ではなく、彼の胸をかすめるだけの小さな歴史上の雹のようであり、彼らには理解できない。なぜなら、骸骨が人間の姿ではないのと同じように、要約は物語ではないからである。


「彼らは彼の心に」というのは「それら(年代記)は彼の心に」の間違いだが、よくできた訳文だと思う。しかし翻訳としてはどうだろう。「多くの偉大な者が小さくなり、小さな者が偉大になるその時」は正確な訳だが、日本の読者にとってわかりやすいと言えるだろうか。やはり、「最後の審判のときが訪れ」くらいの解説的な言葉を入れないとぴんとこないのではないか。世俗的な基準では偉大であっても、神の目からは罪深い存在である、ということは大いにありうるのだが、そのあたりのキリスト教的知識を、わたしなら補うだろう。

「彼らの人生と性格」は「彼らの生きざまや人となり」くらいにしたい。これは語感の問題である。また「年代記の中に国々から隠されている」は「年代記の中に埋もれ隠されている」のほうがはっきりわかる。なんでも訳せばいいというものではない。


Copilot

地上には一日として、無名の男女が偉大な行いをし、偉大な言葉を語り、高貴な悲しみを味わわない日はない。これらの無名の英雄、哲学者、殉教者の大部分は、偉大な者が小さくなり、小さな者が偉大になるその時まで知られることはないだろう。しかし、他の者たちについては、世界の知識は眠っていると言える。彼らの人生と性格は、それを記録する年代記の中に隠されている。一般の読者は彼らを感じることができない。彼らはあまりにも簡潔で冷たく提示されているからだ。それは心に訴える生きた物語のようではなく、胸に当たってもすぐに跳ね返る小さな歴史の雹のようだ。要約は物語ではなく、骨格は人間の姿ではないのだから、彼らを理解することもできない。


グーグル翻訳とよく似ているが、「胸に当たってもすぐに跳ね返る小さな歴史の雹のようだ」というところは語調もいいし、わたしは気に入っている。しかし最後の一文はグーグルに軍配が上がる。グーグルの翻訳でもそうだったが、代名詞の読み取りという基本的な読解能力にまだ問題があるのだろうか。また、翻訳者はわかりやすさのために代名詞をそれが指示する名詞に変えて訳すことがあるが、そういう配慮はAIにはできないのかもしれない。

ちなみに Copilot に「以下の文章を日本語に訳してくれ」と英語で頼むと、「著作権を侵す可能性があるため、要約でもかまわないか」と英語で返事が来た。そこで「引用はジョン・リードの『僧院と炉端』から取られたもので、この作品はパブリックドメイン入りしている」と教えると、「情報をありがとう」という言葉とともに、翻訳文を提示してくれた。この用心深さには感心した。


DeepL

地上には一日として、無名の男女が偉大な行いをし、偉大な言葉を語り、高貴な悲しみを味わわない日はない。これらの無名の英雄、哲学者、殉教者の大部分は、偉大な者が小さくなり、小さな者が偉大になるその時まで知られることはないだろう。しかし、他の者たちについては、世界の知識は眠っていると言える。彼らの人生と性格は、それを記録する年代記の中に隠されている。一般の読者は彼らを感じることができない。彼らはあまりにも簡潔で冷たく提示されているからだ。それは心に訴える生きた物語のようではなく、胸に当たってもすぐに跳ね返る小さな歴史の雹のようだ。要約は物語ではなく、骨格は人間の姿ではないのだから、彼らを理解することもできない。


なんと Copilot と同じだ。よくは知らないが、同じエンジンを使っているのだろうか。

原文は、十九世紀の文章らしく、もってまわった言い回しになっているが、要するに「無名の人間が日々立派な行いをしているが、そのほとんどは人に知られることなく歴史に埋もれていく。彼らのなかのほんの少数の人々は、年代記にその業績が記されているが、残念ながら年代記の記述は無味乾燥で、読む人の心に訴えてこない」という内容である。AIの訳文はなかなかよくできているが、誤訳もあるようだし、間違いとは言えないが、語感の悪さがちょっと気になる。(でもここまで訳せるのはたいした進歩だ)文化の違いを考慮し、説明を補足することもむずかしいようだ。ただし Copilot に、「多くの偉大な者が小さくなり、小さな者が偉大になるその時」とはどのような時か、と英語で質問すると、最後の審判のような時であろうと返答した。おそらく学習を続ければ、いつかはもっと完璧に近い訳文を作成するようになるだろう。

Saturday, September 14, 2024

英語読解のヒント(135)

135. for the first time

基本表現と解説
  • I saw him for the first time. 「はじめて彼に会った」
  • I saw him for the second time. 「ふたたび彼に会った」
  • I saw him for the last time. 「それを最後に彼とは二度と会っていない」
  • I saw him for the first time in my life. 「生まれてはじめて彼に会った」
  • I saw him for the first time and the last. 「後にも先にもただ一度だけ彼に会った」

訳文は前後の関係により、「はじめて(ふたたび、等)……した」としてもいいし、「……したが、それがはじめて(二度目、等)だった」としてもよい。

例文1

And she is sleeping calmly, little suspecting that she has seen me for the last time.

Johann Wolfgang von Goethe, The Sorrows of Young Werther (translated by R. D. Boylan)

彼女は穏やかに寝ている。わたしに二度と会えないことを少しも知らず。

例文2

On this occasion, for the first and for the last time, his dauntless spirit, during a few hours, shrank from the fearful responsibility of making a decision.

T. B. Macaulay, "Sir John Malcolm's Life of Lord Clive"

さすが不敵な彼の精神も、このときばかりは数時間ほど、断を下す恐ろしい責任から萎縮してしまったが、そんなことは後にも先にもこれ一回きりであった。

例文3

"Great Heavens! madam," cried Harry. "What have I done that thus, for a second time, you insult me?"

William Makepeace Thackeray, The History of Henry Esmond, Esq.

ハリーは大声を出した。「驚きました。こんなふうにまたもやわたしを侮辱なさるとは、いったいわたしがなにをしたというのです?」

Wednesday, September 11, 2024

英語読解のヒント(134)

134. for all I care / see / tell / read

基本表現と解説
  • He may die for all I care. 「あんなやつは死んだってかまわない」
  • For all I see, politics only brings a poor man into trouble. 「わたしが見るところ、政治っていうのは貧しい人間を面倒に引き込むだけのようだ」

前項の for all I know にかわって for all I care とか for all I see などという言い方もある。ただし know と care では原意の相違により次のような差を生じる。

  • He may be a good man for aught I know. 「彼はおそらく善人だろう」
  • He may be a bad man for aught I care. 「彼は悪人でもかまわない」

例文1

You spend your passion on a mispris'd mood:
I am not guilty of Lysander's blood;
Nor is he dead, for aught that I can tell.

William Shakespeare, A Midsummer Night's Dream

あなたはとんだ勘違いをしている。
わたしはライサンダーを殺していません。
それにあの人は死んでおりますまい。

例文2

For aught I know or care, the plot may be an exactly opposite one, and the Christians intend to murder all the Jews.

Charles Kingsley, Hypatia

その陰謀はまったくの逆で、キリスト教徒がユダヤ人全員を殺そうとするのかもしれない。

 for aught I know or care は、語り手「わたし」は陰謀についてそれがどういった性質のものか、知識もないし、関心もない、という意味。

例文3

My sketch may be a daub, for aught I care.

John Masefield, "Dauber"

わたしの絵が下手だろうとそんなことはかまわない。

Sunday, September 8, 2024

英文読解のヒント(133)

133. for all I know / for what I know

基本表現と解説
  • He may be a good man for all I know.
  • He may be a good man for what I know.
  • He may be a good man for aught I know.
  • He may be a good man for anything I know.

いずれも「たぶん彼はいい人なのだろう」という確信を欠いた言い方。この句は多くの場合 may や might を伴う。

例文1

He thought I slept placidly through that half-hour, which seemed to him as brief as a minute. To me it was long — ah, so long! as I lay pondering with an intensity that was actual pain, on what must come some time, and, for all I knew, might even now be coming.

Dinah Mulock Craik, John Halifax, Gentleman

彼にはほんの一分のように思えたあの半時間のあいだ、彼はわたしが穏やかな眠りをむさぼっていると思っていた。わたしにとってあの時間は長かった。おそろしく長かった。わたしは実際苦しいほど一心になって、いつか来るにちがいないこと、いや、いままさに来ようとしているかもしれないことについて考えながら横になっていたのだ。

例文2

For aught I know, you may give me up to justice; but unless you do, here I stop until I can venture to escape abroad.

Charles Dickens, "The Drunkard's Death"

ことによるとお前はおれをお上へ突き出すかもしれないが、そうでなきゃ、おれは外国へ高飛びするまでここにいるつもりだ。

例文3

He [Julius Caesar] had expected to find pearls in Britain, and he may have found a few for anything I know; but, at all events, he found delicious oysters....

Charles Dickens, A Child's History of England

彼(ジュリアス・シーザー)はイギリスで真珠を見つけるつもりだった。もしかしたら少しは見つけたかもしれない。しかしそれはともかく、おいしい牡蠣は発見できただろう。

Thursday, September 5, 2024

英語読解のヒント(132)

132. for...to...

基本表現と解説
  • For us to search our own glory is not glory. 「人、おのれの誉れを求むるは誉れにあらず」

この構文において for の目的語は to 不定詞の主語になる。

例文1

For an old man to be reduced to poverty, is a very great affliction.

Brandon Turner, A New English Grammar

老人が貧苦に陥ること、これは大きな不幸だ。

例文2

For such a person to lose his money is to suffer the most shocking reverse, and fall from heaven to hell, from all to nothing, in a breath.

R. L. Stevenson, "A Lodging for the Night"

そのような人が金を失うということ、それはもっとも恐ろしい禍に遇うことであり、一気に天国から地獄へ落ちることであり、富裕の身からすかんぴんになることである。

例文3

It is not a graceful thing for me to say, nor pleasant for you to hear, that what you have done hitherto in art and literature is neither of any value in itself nor likely to lead you to that which is truly and permanently satisfying.

Philip Gilbert Hamerton, The Intellectual Life

こんなことを言うのはぶしつけで、あなたがたも聞いて不快に思うだろうが、あなたがたが今まで芸術や文学においてなしてきたことにはなんらの価値もないし、真に、そして永遠に満足をもたらすものへとあなたがたを導くこともないだろう。

Monday, September 2, 2024

英語読解のヒント(131)

131. for (2)

基本表現と解説
  • We went to Suma for the summer. 「われわれは須磨に避暑に行った」

この文は We went to Suma to spend the summer. と言い換えることができる。

例文1

I saw in a newspaper that you were gone to Tintagel for the summer.

Charlotte Mary Brame, Wife in Name Only

ティンタジェルで夏をお過ごしになるということは新聞で知りました。

例文2

My aunt has taken an apartment in Rome for the winter and has already asked me to come and see her.

Henry James, Daisy Miller

伯母が冬をローマで過ごすために部屋を借りましてね、もうすでに遊びに来いと言ってきているんです。

例文3

In 1865 he was once more attacked by his malady, and had to retire to the country for three years.

Paul Rosenfeld, Musical Portraits

一八六五年に彼はふたたびこの病気にかかり、三年間田舎で療養生活を送らねばならなかった。

ロス・マクドナルド「ある人々の死に方」

  これは高名な作品だから筋を知っている人は多いと思う。一応簡単に紹介すると…… 私立探偵リュー・アーチャーはミセス・サミュエル・ローレンスに行方不明になった娘を探してくれと頼まれる。アーチャーは彼女のあとを追って米国西海岸の裏社会、ヤクザやクスリの売人や売笑婦らの世界に足を踏み...