Monday, June 29, 2020

アルバトロス出版社

ルイス・ゴールディング(Louis Golding)の「マグノリア通り」(Magnolia Street)を読もうと思って Internet Archive を探していたら、なんとアルバトロス版が見つかった。

アルバトロス出版社は1932年に創立されたドイツの出版社である。ナチスが台頭するドイツのハンブルグに本社があったが、その出資者はほとんどがユダヤ系イギリス人という奇妙な会社だった。しかも英語で書かれた作品をドイツ語に翻訳することなく、そのまま英語で出版した。

アルバトロスが出した本は、ジョイスやウルフの前衛的な作品からクイーンの推理小説にいたるまで、非常に幅広い。ただしハードカバーではなく、一般読者向けに安いペーパーバックを出していた。本のサイズを黄金比にし、活字に新しく作られたサンセリフを用い、本はジャンル別に色分けされていた。「マグノリア通り」は小説なので、オレンジ色の表紙をしている。もうお気づきと思うが、こうしたやり方はペンギンブックスがしっかりと真似している。

「マグノリア通り」の本文のあとにはアルバトロスの出版物が作者別にリストアップされている。1930年代にはこんな本が読まれていたのかと、感慨深く眺めた。

文学の分野で、いちばん冊数が多く出された作家はロレンスで七点。もっとも「チャタレー夫人」は入っていない。それからシンクレア・ルイスが六点と多い。ハクスレーは五点。エラリー・クイーンとバーナビイ・ロスをまとめて勘定すると、これも五点。

オニールとかウォルポールとかマッケンジーのようによく知られた作家が多いが、まったく知らない作家もいる。こういう作家はあとで本が手に入るか、調べなければならない。意外な宝石が隠れていることもあるからである。

本文のあとについているこうしたリストは非常に貴重で、なかには新聞の書評の抜き書きが並んでいるものもある。読者の購買欲をそそるように、褒め言葉ばかりを集めているが、それでも作品に対する当時の反応がなにがしかわかり興味深い。

しかし今回いちばんびっくりしたのは、The Albatross Modern Continental Library として知られる出版物のリストのほかに、The Albatross Crime Club というリストが一部分掲載されていたことだ。アルバトロスに Crime Club なんてシリーズがあったのか。わたしはまったく知らなかった。本には発行の順番に番号が振られているのだが、「マグノリア通り」の後ろに出ているリストには、百番台の、おそらくこの本が出た当時、いちばん新しかった刊行物の作者名とタイトルしか出ていない。さっそく調べて全リスト手に入れなければ。

Friday, June 26, 2020

身体の痛み

驚くべきことだが、痛みはアリストテレス以来、哲学者を困惑させてきた。痛みは感情 emotion なのか、感覚 sensation なのか、知覚 perception なのか。

精神分析の領域では痛みはもっと不可解なものとなる。医学的にはなんら痛みの原因となるものが存在しないのに、患者は痛みを感じる場合があるのだから。片足を切断した人でも、湿度の高い日は膝に痛みを感じるなんて話しを聞いたことはないだろうか。その人に膝はもうないというのに。

しかしそんな哲学的な話しはどうでもいい。わたしは筋トレをしているせいか、腰が痛い人とか肩が痛い人からどんなトレーニングをすればいいのかと聞かれることがある。そんなときは医者に聞けと答えることにしている。痛みなんてなにが原因で生じているのかわかったものではない。素人に聞かれても困るというのがわたしの本音だ。

しかし単純に筋肉が弱って痛みが出ているなら、いくらでも鍛えて痛みを減らすことが出来る。筋肉はちゃんと栄養を取り、訓練すれば、何歳になっても成長するのだ。腰が痛い人がデッドリフトをやってずいぶん状態がよくなったというケースをわたしは知っている。ただし腰痛を改善するためならやたらと重いものを持ち上げる必要はない。商品の入った買い物袋を両手で持ち、軽く腰を曲げた状態から、上体をぐっと後ろにそらす程度の、軽い運動を繰り返すだけで十分だ。それを毎日繰り返せば、靴紐を結んだあと腰がふらついたりしなくなるし、寝そべって頬杖をつきながら本を読むこともできるようになる。(この姿勢は意外と腰の筋肉に負担がかかる)

肩の痛みや肩こりも、筋肉が弱ったり柔軟性を失ってしまって生じている場合が多い。ジムに行ってラットプルダウンをやるのもいいけど、じつは腕を回したり、首を回したり、背中の筋肉を意識して緊張させるだけでも、かなりの効果がある。ペットボトルなどを持って腕を回せば、さらに負荷を大きくすることが出来る。ムキムキになろうとするのでもないかぎり、高い金を払ってジムに行かなくても、自宅で筋肉をつけ、身体を若返らせることができるのだ。

Wednesday, June 24, 2020

ミステリ劇「遺体」(1951)



最近はミステリ劇を探し出して読んでいる。本作はハワード・リンゼイとラッセル・クラウスの合作ミステリ劇。この二人は Life with Father とか State of the Union といった劇作品で有名なので知っている人もいるだろう。


「遺体」(Remains to Be Seen)はそれほど面白い劇ではない。ミステリめいた主筋にギャグやらロマンスをからめ、にぎやかな舞台にはなっているものの、焦点のはっきりしない仕上がりになってしまっている。とある金持ちがニューヨークの自宅で死体となって発見される。警察と医者の調べで、薬の服用量を間違え、事故死したものと判断された。現場で死体を調べた後、彼らは葬儀屋に死体の運び出しを頼む。ところがやってきた葬儀屋は死体の横たわる部屋に入ったとたん、血相を変えて飛び出してくる。なんと死体の胸にナイフが突き刺さっていたのだ。警察や医者が調べたときは、ナイフなど刺さっていなかった。誰かがいつの間にか死体にナイフを突き刺したのである。いったい誰が、なんのために?

このあとは相続人で歌手の美しい娘や、素人ドラマーでもあるアパートの管理人やらが登場し、人が死んだというのにずいぶん騒々しい場面を展開することになる。

この作品を読みながら、オヤっと思ったことがひとつある。死んだ金持ちの召使はハヤカワという日本人なのだが、刑事が彼に向かって「さあ、来い、ミスタ・モト」と言うのである。

そういえば、この劇が書かれた1950年ごろは、ジョン・P・マーカンドによってミスタ・モトのシリーズが書かれ、映画化もされていた時期だった。神秘的な日本人スパイ、ミスタ・モトの物語の特徴は、ミスタ・モトが主人公ではなく、副主人公のように活躍することである。事件に巻き込まれたアメリカ人の冒険、これが物語の前面に押し出され、その彼をアシストするようにミスタ・モトが静かにその手腕を振るう。もう一つの特徴は事件に巻き込まれたアメリカ人が事件を経て成長する点である。たとえばビジネスの世界にうといぼんぼんが、事件を経てタフなビジネスマンに変身するというように。

そう考えたとき、もしかしたら「遺体」もそんなマーカンドのシリーズの真似をしようとしたのかな、とふと思った。というのはアパートの管理人は登場したときは奥手で、うぶな、もしかしたらマザコンかと思われるような男なのだが、事件を経て劇の最後では、美しい相続人(もっとも彼女は遺産をすべて慈善目的に使ってしまおうとする)と結婚し、彼女と一緒にどさ回りの音楽バンドに加わることを決意するからである。本作はあまり出来がいいとは思えないが、アメリカ文学と「成熟」の問題にわたしの目を向けさせてくれた。

Monday, June 22, 2020

基準独文和訳法

権田保之助著
有朋堂発行
「基準独文和訳法」より

問題10(p. 49)

Im weiteren Sinn bedeutet „kapitalistische Produktion" einfach jede Produktion mit Kapital; in einem engeren, vom Sozialismus aufgebrachten Sinn aber bedeutet sie die jenige Produktionsweise, welche unter der Herrschaft und Leitung des Kapitals, d. h. der Kapitalisten, erfolgt, bei welcher sich also die Produktionsmittel in dem Besitz oder der Verfügung einer kleinen Zahl von „Unternehmern" befinden, welche besitzlose Lohnarbeiter beschäftigen, die nur einen vorher vereinbarten Arbeitslohn empfangen.

1)kapitalistische Produktion -- Produktionsweise -- Produktionsmittel -- Unternehmer --Lohnarbeiter の訳?
2)im weiteren Sinn -- in einem engeren Sinn の意味は?
3)sich in der Verfügung befinden といふ熟語の意味は?
4)welche besitzlose Lohnarbeiter beschäftigen の意味は?
5)die jenige Produktionsweise, welche...以下には関係代名詞で始められた副文章が四個あるが、夫等は夫々に何れの名詞を指してゐるのであらうか?

解釈要項
1)kapitalistische Produktion は「資本主義的生産」である。これを「資本家的生産」又は「資本的生産」なぞと訳すべからず。
Produktionsweise は「生産方法」
Produktionsmittel は「生産手段」
Unternehmer は「企業家」
Lohnarbeiter は「賃金労働者」
2)im weiteren Sinn は「広義では」、in einem engeren Sinn は「一つの狭い意味では」。これを weiter, enger の比較級に捉はれて、「より広い意味では」「より狭い意味では」等と訳してはならぬ。
3)sich in der Verfügung befinden は in der Verfügung stehen と同義で、「処分に委ねられてゐる」「自由に任されてゐる」。
4)welche(一格:Unternehmer を代理)besitzlose Lohnarbeiter(四格)beschäftigen. 「無産賃金労働者を使役する所の企業家」――これは「無産賃金労働者が働く」と逆に解され易い危険があるから注意。
5)welche unter der Herrschaft...の welche は Produktionsweise. bei welcher sich also...の welcher も Produktionsweise. welche besitzlose Lohnarbeiter...の welche は Unternehmer. die nur einen vorher... の die は Lohnarbeiter.

訳文
「資本主義的生産」とは広義に於ては単に資本を以てする各生産を意味するにすぎない。然るに狭き即ち社会主義によつて掲げられた意味に於ては、それは資本の即ち資本家の支配と管理の下に行はるる生産方法を意味するものであつて、斯かる生産方法にあつては、従つて生産手段は前以て協定されし労賃をのみ受取る無産賃金労働者を使役する少数『企業家』の所有又は処分に委ねられてゐるのである。

Saturday, June 20, 2020

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 113-115)

範例
Good advice often comes in at one ear and goes out at the other.
諫言は往々一方の耳より入り他方の耳より出で行く。

解説
斯の如く出入の點を示す爲に用ひたる At は
「より」「から」「……を通して」
など譯す可し。

用例

1.  "Were you looking for me," he said, "when you peered in at the window?"
    C. Dickens
    彼は云ふ「あなたが窓を覗いた時には私を捜して居たのですか」。

2.  It was long past midnight when the young steward rode in at the gates.
    Ouida
    若い執事が馬に騎て門から入て來たのは夜中過ぎて餘程たつてからで有つた。

3.  One pictures to one's self showers of rain and of hail beating in at the windows.
    V. Hugo
    譬へば雨霰が盛に窓から吹き込んで來るやうである。

4.  The madman leaped in at the window, and at the same instant another form followed him.
    狂人は窓から飛び込んで來た。同時に又一人續いて入つた者がある。

5.  Mr. Havisham drew his head in at the window of his coupe and leaned back with a dry smile.
  ハヴシヤム氏は馬車の窓から首を引き込め、皮肉な笑を浮かべ乍ら、後へ寄り掛つた。

6.  As to the family, they always entered in at the gate, and generally lived in the kitchen.
    W. Irving
  家族の者はと云ふに彼等は常に門より入り大抵厨房に住んで居た。

7.  "Good-bye to Gateshead!" cried I, as we passed through the hall and went out at the front door.
    C. Bronte
    「ケーツヘッドも今宵ぎり!」私は廊下を通つて表へ出ながら斯う申しました。

8.  On our way home my companion stepped in for a moment at the office of one of the daily papers.
    E. A. Poe
    同氏は歸りがけに日刊新聞の一つの事務所に一寸立寄つた。

9.  The anti-temperance mass-meeting was in session; he put his trunk in at the window and washed it out with water from the cistern.
    Mark Twain
    禁酒反對大會開會中の所、彼は窓より鼻を突き込み、水槽より汲み來れる水を以て大會を押流せり。

10. "If you please, mistress," said a withered old female pauper, hideously ugly: putting her head in at the door, "Old Sally is a-going fast."
    C. Dickens
    「あなた、後生ですが」おそろしく醜い皺苦茶の婆が入口から首を突き込み乍ら「サリー婆さんが今にも息を引き取りさうですから」。

11. A procession swept in at another door, with candles, lanterns -- landlord and two German guests in their night-gown and a chambermaid in hers.
    Mark Twain
    向うの入口からも蝋燭や提燈を以てぞろぞろ行列が入つて來た。亭主と二人の獨逸人の客と、それから下女も寝巻姿でやつて來た。

12. He passed down the street between 11 and 12 on his way home and had looked in at the lighted window as usual, but there was certainly no one in the room then.
    彼は十一時と十二時との間にこゝを通つて家に歸り、いつものやうに明りのついて居る窓を覗いて見たが、其時には確に誰も居らなかつた。

Tuesday, June 16, 2020

ツイッターから

ある人のツイッターにこんな書き込みがあった。「社員やスタッフに精神論を押し付けるようになったら経営は失敗だ」

あれは何年前だったろうか。清貧の思想などというものが出て来て人々にはやされたことがあった。要するに贅沢を望まず、つつましく生きていこう、という内容である。これが出て来たとき、わたしはさっそく反発した。これは日本の経済が失速し始め、消費大衆の生活がじわじわと圧迫される最初のころにあらわれた「思想」である。清貧などというと、いにしえの仙人の生き方を思い起こさせ、ある種の道徳観念に親しんだ人々はすぐ「そうだ、そうだ」とのめりこむが、実際は、これから経済が苦しくなるから、おまえらは我慢の生活を送れ、というメッセージを送っているにすぎない。こういう「思想」をイデオロギーというのである。

あなたがよい職に就けないのはスキルがないから、だからスキルを身につけるためにナントカ学校へ行きましょう、などというのもこの手のイデオロギーである。一見すると理屈が通っているように見えるので、大勢の人が急にスキル、スキルといいはじめる。納豆ダイエットはきくとテレビで放映されると、どどっと納豆を買う人がふえるのと同様の現象である。(まったくテレビの影響力は甚大だ)よい職に就けないのは、よい職がないからである。どの企業も労働力を安く手に入れたいからである。

この意味に於いてマルクスが経済を下部構造を規定したのは間違っていないと思う。

Sunday, June 14, 2020

ジョーン・エイケン「雨の日曜日に死す」(1972)

ジョーン・エイケン(1924-2004)は児童向けのファンタジー小説で有名だが、ホラーやミステリもかなりの量を書いており、「夕暮れ」(Night Fall)という作品ではエドガー・アラン・ポー賞をとっている。「雨の日曜日に死す」はミステリ的な要素を含むスリラー、あるいはホラーだ。しかも相当に面白い。

ジェインとグラハムは六歳の娘キャロラインとまだ赤ん坊のドナルドを連れてケント州の小さな村に引っ越してくる。ジェインは子育てのために仕事をやめ、グラハムは建築家をしている。若い夫婦にはよくあることだが、彼らもお金に苦労している。そんなときジェインに願ってもない知らせがやってくる。以前働いていた会社から、二カ月だけ仕事を手伝ってくれないかというのだ。その報酬は財政的に逼迫している彼らにとってはじつに魅力的だった。ジェインは申し出に飛びつく。

しかし働きに出ている日中、子供たちの世話をどうするか。彼らは知り合いからマクレガー夫婦を紹介される。そしてジェインが働きに出るあいだ、夫のほうに庭仕事を、妻のほうに子供の世話を頼むことになる。

ところがこのマクレガー夫婦、仕事はまじめにやるのだが、奇妙なぐらいに融通が利かず、しかも次第にジェインやキャロラインに嫌がらせをはたらくようになる。キャロラインは怯えて夜中におねしょをするようになる。夫婦仲にも亀裂が入る。ジェインはマクレガー夫婦を嫌い、解雇しようとするのだが、グラハムはなぜか彼らを雇い続けようとするのだ。いったいこのマクレガー夫婦とは何者なのか。それを知ることは、じつはグラハムの過去の秘密を知ることでもあった。

本作では主婦(ジェイン)の視点から日常生活が徐々に毀れていく様子が描かれている。それがじつにスリリングで不気味だ。なぜこれほどスリリングで不気味なのか。彼らの日常に闖入し、それをむしばんでいくのは、異様な存在感を漂わせる無口なマクレガー夫婦とその娘スーザンなのだが、その経済的地位の対照性にもかかわらず(マクレガー一家は教育もなく、ボロ屋に住んでいる)、ジェイン、グラハム、キャロラインの鏡像となっているからである。どういうことか。

たとえば物語のはじめのほうで、ジェインは家計のきりもりに注意を払わないグラハムの脳天気さにあきれる。しばらく物語が進むと、マクレガー夫婦の日常がちらりと垣間見られる。そこでもマクレガー夫人は女の苦労を理解しない夫の愚劣さにいらいらしている。いずれも夫婦間ではよくありそうなやりとりで、男の読者としてわたしは、ああいうときに女はこんなことを考えているのか、とちょっと反省させられる場面でもある。しかし本作においてこの反復は二つの夫婦関係の相似性を強く印象づける役割を果たしている。

また、ジェインはあるときマクレガーを自分の夫と見間違え、ちょっとした事件が起きる。二人の夫はそれくらいよく似ているのだ。さらにマクレガー夫婦の娘スーザンは痴呆の気があるのか、よくぼんやりと虚ろな目で空を眺めているのだが、ジェインは自分の娘も彼女とおなじ目付きをすることに気づいてぞっとする。この奇妙な類似性はなにを意味するのか。グラハムの過去があばかれるにしたがって、二つの家族のあいだにはつながりがあることがあきらかになるのだが、この類似性の持つ不気味さが本作の恐怖感を盛り立てていることは間違いない。

さらに一歩踏み込んで、こう言うことも可能だろう。ジェインはマクレガー一家をいとわしく感じ、敵対するが、じつのところ彼らは自分たちの内部に秘められた他者性を外在化させたものにすぎない、と。われわれが本書を読み終わって抱く感想は、かりにマクレガー一家があらわれなくても、早晩ジェインとグラハムは別れていただろう、というものだ。ジェインはグラハムのおぞましい過去を知らないから、表面上、夫婦の関係を保てていたが、いったん過去が現在に追いつけば、その関係は破綻したに違いない。ジェインの昔の同僚だった男は、別の観点から彼らの関係が長続きしないことを明瞭に認識していた。彼はグラハムがジェインの親友と不倫をしていることを知っていたのだ。もちろん友人を不幸に陥れたくなかった彼は、口をつぐみ、ただ心配そうにジェインを見つめていただけなのだけど。つまり、ほんとうはジェインとグラハムのあいだには目に見えない形でもとから亀裂があったのだ。その亀裂がマクレガー一家によって外在化されたのである。まるで悪が外部からやってきて彼らの家庭を壊したように見えるが、じつはその悪は内部に由来するものなのである。

Friday, June 12, 2020

関口存男

関口存男は語学がよくできただけではなく、自分で考えようとする、珍しい日本人だった。それは彼の冠詞の研究などを読むとわかる。対象を徹底的に観察し、独自の直感でもって複雑さの中に規則性を見いだしていく。これがあらゆる思考の基本なのだけれど、それが出来る人は数える程度しかいない。斎藤秀三郎は英語の達人と言われたけれど、関口のような思考力には恵まれてなかった。

また関口は翻訳家としても優秀だった。さすがに古めかしさはあるが、わかりやすく言葉に生きのいいリズムがある。つぎのような訳文などはなかなか書けるものではない。

結構ではござるが完全とは申し難い。総じて人の命は短いと致したもので、人一代の間に凡ゆる場合が生じる訳のものではござらぬ。我等の究むる法典は取りも直さず左様な場合の数数をば幾世紀の長日月に亙って蒐集致したものに外ならぬ。それに人間の意志、意見と申すものは絶えず動揺致して居るもので、今日甲なる人間が之を正しと見做すとも、明日は乙なる人間が誤れるとなし、斯くては紛糾を醸し理を曲ぐるの弊を免れ難きにより、其処を定めるのが之れが法律と申すもので、法律は万世不易でござる。

関口の訳業は国立国会図書館のデジタルライブラリでもいくつか読める。

最近、関口の文法書がネット上に pdf で出回っていることを知り、びっくりした。「独逸語大講座」全六巻や「新ドイツ語大講座」全三巻が読めるのである。前者はドイツ語が髭文字で印刷されているのでとっつきにくいかもしれないが、後者はラテン体を使っているので初学者にはうってつけだろう。もちろん最新のドイツ語とは綴りや用法に異動があるが、それはあまり大きな問題にはならない。

関口の語学書を読んで、なんだか電子化してみたくなった。「独逸語大講座」も表記をラテン体にすれば読む人も増えるのではないか。なにしろこの本には初学者にとって有益な、豊富な読み物がついている。

というわけで近々、関口の著作のデジタル化をはじめるかもしれない。

Wednesday, June 10, 2020

基準独文和訳法

権田保之助著
有朋堂発行
「基準独文和訳法」より

問題9(p. 48)

Unsere Zeit ringt mit allen lebendigen Kräften nach Herausbildung eines neuen Stils. In neue Ausdrucksformen will sie den geistigen Gehalt der Entwicklung fassen und damit eine neue, in sich selbst gegründete Kunstepoche heraufführen. Wie jedes geistige Schaffen, so kann aber auch die Kunst, soll sie volkstümlich sein, nur gedeihen, wenn sie von dem vollen Strome des Allgemeinbewußtseins getragen ist.

研究事項
1)unsere Zeit の訳は?
2)Ausdrucksform と、eine neue, in sich selbst gegründete Kunstepoche と、Allgemeinbewußtsein との夫々の訳は?
3)ringt mit allen lebendigen Kräften nach...は如何に解すべきか?
4)in neue Ausdrucksformen の四格を支配しゐることに注意。
5)und damit の意味は如何。
6)最後の文の Wie jedes geistige...getragen ist の内部の関係を明らかにせよ。

解釈要項
1)unsere Zeit を学生はよく「我々の時」とか「我々の時代」とかと訳すが、それは甚だ変である。「現代」と訳すべきである。
2)Ausdrucksform は「表現形式」。
eine neue, in sich selbst gegründete Kunstepoche は「それ自らに基礎を置いた一つの新しい芸術の紀元」。
Allgemeinbewußtsein は「一般意識」。
3)ringt mit allen lebendigen Kräften nach...は、「mit allen lebendigen Kräften で、nach...(…へと)ringt(努力してゐる)」と解すべきである。これを「…への一切の生動せる諸力と争ふ」なぞと解すれば、それは驚くべき誤訳である。
4)in neue Ausdrucksformen が複数四格支配となつてゐることは、「新しい表現形式の中へ den geistigen Gehalt der Entwicklung を盛り込む」の義を表はしてゐる。これを三格支配と見誤つて、「新しき表現形式に於て…を掴み」等と訳す時は、大きな誤となる。
5)und damit は問題6.に於けるそれと同一である。
6)最後の文の内部の関係を示せば:Wie jedes geistige Schaffen, so kann aber auch die Kunst, (soll sie volkstümlich sein,) nur gedeihen, wenn sie von dem vollen Strome des Allgemeinbewußtseins getragen ist. 即ち soll sie volkstümlich sein がポツリと投入されてゐるので、一寸解し憎いのである。そして此の挿入されてゐる soll sie volkstümlich sein は認容文章ではなくて、単なる普通の文である。(尚ほ volkstümlich は「通俗的」の義であつて、之を national 「国民的」と解しては概念上の誤謬となる)。

訳文
現代は一切の生動せる諸勢力を挙げて、一新様式の創造へと努めてゐる。現代は実に新しき表現形式の中に進展の精神的内容を盛り、以てそれ自らに根柢せる芸術の一新紀元を画し来らんと欲しつゝある。しかも芸術も亦、何れの精神的創造と同じく、通俗的であらねばならぬものであるが、それが一般意識の全潮流によつて支持さるる時に於てのみ、栄え得べきものである。

Monday, June 8, 2020

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 112-113)

範例
If they did not love me, in fact, as little did I love them.
實に彼等が私を愛さなかつたかも知れぬが、私も殆ど同樣に彼等を愛さなかつた。

解説
上例に於ける as は前を受けて「(それと)同樣に」の意を示すもの。
(a) I thought as much.
(b) The wall was about fifteen feet high, and as many thick.
等に於ける as に同じ。

用例
1.  I could as easy steal the parson's surplice, and wear it.
  G. Eliot
    私はそれと同樣に容易に僧の衣を盗み、それを着る事も出來ます。

2.  Blucher fought as stern a battle, but with worse fortune.
    J. G. Lockhart
    ブルーヘルもまたそれと同じく烈しい戰をしたが、それよりは不利の戰であつた。

3.  You think wrong; I have as much soul as you -- and full as much heart!
    C. Bronte
    あなたのお考は間違つて居ます、私にもあなたに劣らぬほどの精神を持つて居ます、また、あなたが持ておいでる程の情を充分に持て居ります。

4.  You might as well ask me to move the monument; it would be quite as easy.
    M. Clay
    私に記念碑を動かせと云ふも同じだ。其のたやすさは全くその位だ。

5.  In an instant his face grew violently red -- in another as excessively pale.
    E. A. Poe
    忽ちにして彼の顔は眞赤になつたが、忽ちにして、また、それ位まつ蒼になつた。

6.  In my whole career I do not suppose that I have ten times been in as hopeless a situation.
    C. Doyle
    今日までの中に私は斯う云ふ絶望的の境遇に陥つた事は十回も有るまいと思ひます。

7.  You can imagine the sort of night I spent! Well, Doctor, I have passed twenty as bad between then and now.
    A. Dumas
    私がどんな夜を過ごしたか御想像が出來ませう。所が、先生、私は其時から今日までさう云ふいやな晩を過ごした事が二十回も有ります。

8.  The 42nd, formed into a square, was repeatedly broken, and as often recovered -- though with terrible loss of life.
    J. G. Lockhart
    方隊を造つて居た四十二聯隊は再三打破られたが其都度元の隊形に復つた、但し多大の損害は免れなかつた。

Saturday, June 6, 2020

元W-1選手、全日本プロレス参戦

W-1が活動を停止したとき、ここで活躍している選手をほかの団体がうまく吸収してくれればいいと思っていたが、全日本は芦野、児玉、熊嵐などをレギュラー参戦する選手として受け入れたようだ。実績、実力ともに十分の選手たちで、今後の活躍を期待する。熊嵐はいつだったか岡林祐二と激闘を演じた。負けはしたもののトップレベルの選手であることにまちがいはない。わたしは彼がパープルヘイズの入江茂弘と戦う日を楽しみにしている。おなじような体型、おなじような愛嬌のある顔立ちで、どっちも元気いっぱいのファイトをするから面白いことは疑いない。

芦野はW-1を牽引してきた花形選手だが、いかんせん背が低い。どれくらい全日本のスーパーヘビーと戦えるかはわからない。いまのところは参戦決定ご祝儀として勝ち星に恵まれているようなのだが……。もしも彼が三冠に挑むようなことがあれば、もちろんわたしは判官贔屓で彼を応援するだろう。

児玉選手はあまりよく知らない。試合を見た感じではなんとなくTAJIRIと似たタイプのような気がする。つまり、つかみどころのない、毛色の変わった選手である。しかし芦野は喧嘩を売るようなつっぱったところがあるが、児玉はどこか柔軟さを備えている。全日にすぐになじんで、試合だけでなくいろいろな面で刺激を与えてくれそうだ。

コロナ禍でたいへんな中、全日本プロレスが着々と新しい進展を見せているのはうれしい。

Wednesday, June 3, 2020

マージェリー・アリンガム「ホワイト・コッテージの謎」(1928)

本書はアリンガムがはじめてミステリに手を染めた作品らしい。チャロナーという警部が活躍する。前回レビューした「悪党の休日」より七年も前に書かれた作品で、比較するとやはり小説技術のつたなさが目立つのはいたしかたない。物語をおおざっぱにまとめるとこうなる。

ディーン邸に住むクラウザーは誰からも嫌われる不愉快な男だった。彼の召使いもコンパニオン(おもに話し相手をする住み込みの付添人)もクラウザーを蛇蝎のように嫌っていた。さらに隣の屋敷ホワイト・コッテージに住むクリステンセン夫妻、その女中、乳母、クリステンセン夫人の妹もクラウザーに嫌がらせを受け、彼を憎んでいた。

そのクラウザーがホワイト・コッテージで銃殺される。彼を殺した機会は上にあげた人々全員にある。動機も全員にある。全員がクラウザーを憎んでいたと公言しているのだ。チャロナー警部ははるばるフランスまで出向いて一人一人の隠された過去を探るが、はたして犯人を特定できるだろうか。

「悪党の休日」はメロドラマだったが、これはミステリである。チャロナー警部は容疑者たちの取り調べをはじめたとたん、彼らの冷たい視線を感じる。彼らには他の人には知られたくない秘密があるのだ。チャロナー警部が感じるこののけ者意識、部外者感覚に遭遇して、わたしはこの作品はミステリだなと思った。「悪党の休日」はミステリのような始まり方をしながらメロドラマになっていったが、これはそういうことにはならないだろうと思った。この前も書いたけれど、探偵というのはメロドラマの外部に位置しなくてはならない。ディーン邸、ホワイト・コッテージ邸で繰り広げられるドラマを外形的にとらえる視線、立場を確保していなければならないのだ。

ドラマを外形的にとらえる視線というのは、じつは精神分析と通じるところがある。精神分析は人間の行為や反応を意識から説明することはない。行為や反応はあくまで外形的にとらえかえされる。無意識は意識の奥底にあるのではない。行為や反応の外形にあらわれる。それゆえ探偵の思考は精神分析の思考とよく似てくる。たとえばクリステンセン夫人は結婚前にグレイという男と親密な関係にあったことが判明するが、チャロナー警部はすべての容疑者があたかもグレイを失念したかのようにグレイについて何も語っていない事実に着目する。またチャロナーはこんなこともつぶやいている。

「なにか説明の仕方があるはずなんだ」と彼は声に出して言った。「単純ななにか、あたりまえすぎて見逃しているなにか、なにか、誰か……」

フロイトも失念や否認や盲点化について興味を持ち、多種多様な例をあつめて考察していることは誰でも知っているだろう。さらにチャロナー警部が事件の真相に気づくのは「グロスの犯罪心理学」という本のある一節を読んだからである。そしてわたしの欲望は他者の欲望であるという精神分析の基本的テーゼに気が付く。詳しく話すとネタバレになるのでこれ以上は言わないが、本書を読んでいただければわたしがなにを言っているのか、おわかりになるはずだ。フロイトがドイルの探偵小説に深甚な興味を抱いたという事実が示唆するように、ミステリと精神分析の関係は非常に深いのである。

この作品の中にはヴィクトリア朝のころメロドラマで使い古された仕掛けがたくさん見つかる。世界中の富豪や権力者が寄り集まって作った秘密犯罪組織、不義の子供、脅迫状などなどだ。人物造形もディケンズのそれのように一定の特徴を強調した、型にはまったものだ。こうしたメロドラマの世界から一歩外に出て、それを外形的にながめる視線が確立したとき、二十世紀的な小説や本格推理小説が成立したのだとわたしは考えている。非常に単純な構造の作品なので、そうした事情が見て取りやすい。

英語読解のヒント(145)

145. 付帯状況の with 基本表現と解説 He was sitting, book in hand, at an open window. 「彼は本を手にして開いた窓際に座っていた」 book in hand は with a book in his hand の...