Monday, April 29, 2019

チャンピオン・カーニバル Bブロック

四月二十八日、後楽園ホールで、全日本プロレス・チャンピオン・カーニバル、Bブロックの最終戦が行われた。つくったような試合結果だったが、たぶんファンとしては大勢の人が待ち望んだ結果になったのではないか。

橋本とサム・アドニス戦、ヨシタツと吉田戦はいずれも勝ち星の少ない方(サム・アドニス、吉田)が勝利を収めた。サム・アドニスはいいキャラを出していた。諏訪魔に勝ったとき、インタビューで、「いままで戦った二人は汚い手を使ってオレに勝ちやがった」などと平気で言っていた。急所攻撃を得意にしているくせに、よく言うよ、と思わず笑ってしまった。愉快な男なので、ときどき全日のリングに上がって、インタビューでも楽しませてほしいと思う。

ジェイク・リー対ジョー・ドーリング、および諏訪魔対野村は、いずれも若手が勝利した。若い世代の台頭は目を瞠るばかりだが、逆に、もうそろそろ若手といわれる時期を脱出して全日の主戦力となってもらわないと困る、という気持ちもある。ジェイクも野村も体格に恵まれているのだから、さらに経験を積んで、迫力や風格を身につけてほしい。今回は優勝戦進出者決定戦でジェイクが勝ったが、実力差は紙一重だろう。野村の心中は推し量るにあまりあるが、ファンは彼のような姿にこそ自分を重ねて応援するものである。心機一転、営業にも試合にもがんばってほしい。

Sunday, April 28, 2019

精神分析の今を知るために(4)

こんなユダヤ人ジョークがある。若い男が汽車に乗り、歳老いた男の隣に座った。歳老いた男は「喉が渇いた、喉が渇いた」と言いつづけている。とうとう若い男は我慢できなくなり、べつの車輌に行って水を持ってきて老人に与える。老人は水を飲んで静かになる。しかし数分すると老人はもじもじしだし、ついに叫び出す。「あんなに喉が渇いていたのに、あんなに喉が渇いていたのに」これは人間の欲望がどう働くかをよく示しているジョークだ。なにが老人の不満なのか。不平を言う目的はなんなのか。老人はこう云っているように見える。「おまえはわたしの demand を満足させることができる。わたしは水を要求し、あなたはそれを与えてくれた。しかしわたしの desire はまだ継続している」老人は喉の渇きをいやしたいというより、「喉の渇いた人間」として認められたいのである。つまり他者を操作、支配することが問題なのだ。

Aaron Schuster の講演から

Friday, April 26, 2019

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 29-31)

範例
The newly married couple was driving in a coach and four.
心魂の夫婦が四頭立の馬車を驅て居た。

解説
four, six の次には horses を、pair の次には of horses を省略せり。
  A coach and pair
    = A coach drawn by a pair of horses
   二頭立の馬車
  A coach and four
    = a coach drawn by four horses
   四頭立の馬車
  A coach and six
    = A coach drawn by six horses
   六頭立の馬車

比較
Gin and (= diluted with) water = 水を割つたヂン酒。
Brandy and (= diluted with) water = 水を割つたブランデー。

用例
1.  The party drove off in a carriage and pair.
    Times
    一行は二頭立の馬車に乗つて立ち去つた。
  carriage and pair の形は十八世紀の中頃より始まりしものにして、それ以降には carriage の代りに coach を用ひたり。
2.  He might have been rolling at that moment in his chariot-and-pair.
    C. Dickens
    彼は其時二頭立の馬車に乗り廻つて居たかも知れぬ。
3.  Is there a hole in my belly, that you may turn a coach-and-six in?
    Otway
    わしの腹には六頭立の馬車を入れる穴が有るか。
4.  A coach-and-four, resplendent in liveries, stopped at the door: I knew it well, and so did all Norton Bury.
    Mrs. Craik
    着飾つた從僕を隨へた四頭立の馬車が門前に着いた、私はこの場所をよく知て居る、ノートンベリの人も皆よく知て居る。
5.  "Did you ever know a man come out to do either, in a chariot and pair, you ridiculous old vampire?" said the irritable doctor.
    D. Dickens
    「貴樣は人が二頭立の馬車に乗つて泥棒をしたり人殺しをしたりしにやって來ると思ふか、この唐變木め」と醫者は怒つて云つた。
6.  If a person wishes to describe any small thing as very large it is common to say that it is big enough to turn a coach-and-six in.
    N. W. Lincolnsh. Gloss.
    人が小さきものを甚だしく大きく云はむとする時には六頭立の馬車を入るゝほど大きいと云ふのが普通である。
7.  The roads in that country are so bad and unsafe that I was obliged to hire a coach and pair, and to engage two servants besides the coachman.
    N. E. R. IV.
    其國の道路は中々險惡で物騷で有たから、私は二頭立の馬車を借り、馭者の外に二人の從僕を雇はなければならなかつた。
8.  The art of driving a coach and four through an Act of Parliament was then practised with far more boldness than is possible now.
    F. Pollock
    當時にありては所謂「法令を通して馬車を駆る」と云ふことは今日よりも遙かに大膽に行はれたり。
To drive coach and four (six) through Act of Parliament「法令を無視す」「法令を蹂躙す」「法律(?)の裏を掻(?)く」「法律(?)をやぶる(?)」等の意。
9.  This man [Rice] was often heard to say, before he came to be a judge, that he would drive a coach and six horses through the Act of Parliament.
    Welwood



註 印刷が薄く判別不可能な字が多数あった。

  此人[ライス]は判事になる前には法令を通して六頭立の馬車を駆らうと口癖に云つて居た。
10. As Addiso, it is not to his poetical works or his essays that he owes the honor of having a street named after him; it is to the fact of having been a statesman driving his carriage and pair through London streets.
    Max O'Rell
    アヂソン(ロード)に就いても彼の名を町に附せられる榮を得たのは彼の詩又は文章の爲にではない、彼が政治家として二頭立の馬車を駆り倫敦市中を走つたのに因る。
11. You may talk vaguely about driving a coach and six up a good old flight of stairs, or through a bad young Act of Parliament; but I mean to say you might have not a hearse up that staircase, and taken it broadwise, with the splinter bar towards the wall, and the door towards the balustrades: and done it easy.
    C. Dickens
  古い梯子段に六頭立の馬車を引き上げるとか、出來た計りの惡法令を通して六頭立の馬車を驅ると云ふやうな言が有るが私の云はうとするのは其梯子段には柩車を引き上げる事が出來る而も其梶棒を壁の方に向け戸を欄干の方に向け、たやすく横さまにそれを引き上げる事が出來ると云ふのだ。

Wednesday, April 24, 2019

みとけよコノヤロー、ヘビー級

チャンピオン・カーニバルに一人、ジュニア・ヘビー級の選手として参加している青木篤が四月の二十三日、仙台大会でヴァレッタを破り三勝目をあげた。青木の体格で三勝もできたのはすごい。彼が勝ったのは青柳、崔、そして今回のヴァレッタだ。青柳は青木からしてみればはるか後輩だが、得意技が決まればゼウスにも勝つ男である。崔は仙台大会では岡林を撃破した。ヴァレッタはラフ攻撃をしかけて、成績上位陣に土をつけてきた。こういう多彩な敵を相手に勝ちを納めることができたのは、やはり青木の経験、作戦、頭脳、そして意地のおかげだろう。彼は試合後のインタビューで「みとけよコノヤロー、ヘビー級」と言った。いい台詞だ。ただわたしとしては、ジュニアのチャンピオンである岩本にこのトーナメントに出場してもらい、この台詞を言ってもらいたかった。

仙台大会のメインは石川修司とディラン・ジェイムスの一騎打ちだった。十五分闘って、ジェイムスが石川に勝った。ディランは身体がすこし大きくなったように思う。その分だけ逆水平チョップの威力が増したような気がする。全日ホームページにはこの試合の写真(この大会の紹介ビデオは出ていない)が出ていた。ジェイムスが右手で石川の胸にチョップをたたき込んでいるのだが、ダイナミックな両雄の動きと、つくりものではない表情を捉え、すばらしい報道写真になっている。ジェイムスは試合後、ジョーとの世界タッグ挑戦を要求したが、彼らが勝ったら久しぶりの外国人コンビ・チャンピオン誕生ということになる。若い世代のヘビー級が台頭してきて全日本はほんとうに面白くなってきた。

Monday, April 22, 2019

超能力と国家

The Guardian 紙の文芸欄に、ある新刊本の一部を面白く要約した記事が出ていた。エド・ホーキンス(Ed Hawkins)という作者が書いた「魔法の絨毯に乗った男たち」(The Men on Magic Carpets)の紹介記事である。

冷戦時代に米ロが超能力の研究をしていたことは有名な事実だが、まさかそれが今もつづいているとは知らなかった。

アメリカにおける研究のきっかけとなった人物はマイク・マーフィー。大学で宗教学を研究し、いわゆるニューウエーブ的なヨガ哲学にいかれた男である。1964年、サンフランシスコで行われたサンフランシスコ・ジャイアンツ対LAドジャースの試合で、彼は前者に呪いの精神波を送り、そのたびにドジャースは凡プレイを犯し、試合はジャイアンツの勝利に終わったそうだ。

彼はイーサレンという超能力研究所をつくり、アメリカの軍部やCIAの注目を引いた。ソ連が超能力を研究していると知り、アメリカもおなじ研究に手を染めなければまずいと考えられたのである。マーフィーの知り合いにクレアボーン・ベルという議員がいたことも彼に利した。ホワイトハウスの会議でベルは超能力研究の必要性を説いたのだ。

その結果マーフィーはウエストポイント軍事アカデミーで身体を見えなくする術やら、未来を見通す力や予知能力などを教えることになった。これが「プロジェクト・ジュダイ」というやつである。

マーフィーは超能力を持つ人間がその才能をもっとも発揮しやすい分野はスポーツであると考える。彼によるとスポーツは西洋のヨガなのだそうだ。合気道の植芝盛平とかサッカーのペレとかの例を出して、その超人的な能力を superpower と呼んでいる。今年九十歳になろうとしているマーフィーは、いまでもスポーツの分野に注目し、超人的なスターがあらわれるのを見守っているそうだ。

超能力なんて、うさんくさいものの代表だが、それを軍部が真面目に研究しているとは驚きだ。しかしこういう話は週刊誌的な面白さがある。図書館とかで購入されたら、この本はちょっと手にとってみたい。

Saturday, April 20, 2019

図書館は海賊なのか

漫画だけでなく、文字が主体の書籍も海賊版がネット上に出回っている。それも相当な数の海賊サイトが存在しているそうだ。出版社や作家は、自分たちの収入に悪影響を与えると抗議をし、これを報じる人々も違法なダウンロードはしてはいけないという立場から記事を書く。

わたしが好きなガーディアン紙には、すこし前に海賊版の利用を非難する記事が出ていたが('I can get any novel I want in 30 seconds": can book piracy be stopped?)、その問題の立て方の単純さにはちょっとあきれる。

わたしは知はその性格上、資本主義的な体制と相容れない、そのことが海賊版の問題となってあらわれていると、議論しているのだが、この記事の書き手は資本主義的体制を当然の前提と考え、単に海賊本をダウンロードするのはいけないと論じているだけだ。

それなら図書館という存在は、この議論の中でどう位置づけられるのか。本を買わなくても読める、この公共施設と海賊版サイトのあいだにどのような本質的差異があるというのか。

最近は図書館に行くと通帳をつくってくれるところもあるそうだ。通帳には借りた本の値段が記入され、本をたくさん借りるほど、その累計金額は増えていく。本を実際に買ったらこれだけになりますよ、それがただで読めたのですよ、という事実を眼に見える形で表現したのが図書館の通帳といわれるやつである。ある意味でずいぶん「えぐい」サービスだが、それこそが図書館の機能である。知を売るのではなく、無償で拡散し、文化を広げるのが図書館である。

わたしは海賊版サイトを新手の図書館である、などと言っているのではない。このようなサイトができるのは、もともと知とか情報には拡散をうながす力、資本主義的原理を無視した力が備わっているからだといいたいのである。そこを無視し、頭から資本主義的原理を是とする議論にはつきあいきれない。強力な法的規制を敷いて海賊版を取り締まれと叫ぶ作家もいるが、彼らは知の性格に対する洞察に欠けている。そんな作家の作品は無料配布されていてもわたしは読まないだろう。

(公共図書館は税金で支えられている。さらにイギリスの図書館では借りられた回数に応じて作者に支払いがなされるシステムだ。だからわれわれは料金をまるきり払っていないというわけではない。しかしわたしなどは図書館通帳をつくれば数十万円にも及ぶであろう冊数の本を借りているのだから、税金として支払う額と図書館から受ける恩恵のあいだに大きな差が生じていることは明らかだ)

Thursday, April 18, 2019

知の拡散

わたしの翻訳した本が海賊版となって出まわったならわたしはどうするか。

放っておく。

べつに気にしない。

知的な財産と資本主義的な体制のあいだにはおかしな齟齬が存在する。知的なものは拡散されればされほど力を得る。より多くの人に知が広がるほど、その知の優秀性が証明される。

ところが資本主義的な権利というやつは、知の無制限な拡散を食い止めようとする。それは利益を生み出す限りに於いて拡散を認めるのである。商業的な経路を通じて広がるぶんにはかまわないが、海賊版のような形で広がることは禁止しようとする。

しかし電車やホテルの中で読み捨てられた本を見つけ、楽しいひとときを過ごしたことはないだろうか。わたしは中国で大学の宿舎に入って生活していたことがあるが、入居した初日、戸棚を開けると、上から下までびっしり先住者の本が詰まっているのを見てびっくりしたことがある。すべて英語とドイツ語の本だったので、わたしはしばらく本を買う必要がないくらいだった。そんな商業経路からははずれた形でわれわれは知に接することがよくある。古本屋でも、ほとんどただ同然で貴重な本を手に入れることがある。図書館も知の拡散のための場所である。よい本を読んで興奮したようにその本について語る友人の言葉を聞きながら、なるほどそういう考え方もあるかと思ったこともある。植物が魅力的な実をつけて鳥の食欲を誘い、種を拡散させるように、知も人を惹きつけて、みずからの種を広範囲にばらまかせようとする。

知というのは資本主義的な規制を乗り越えて広がろうとする。わたしの翻訳の海賊版が出回るなら、それは知の性質上しかたのないことであり、それどころか慶賀すべきことではないかとさえ思っている。

Tuesday, April 16, 2019

クロスボディのインパクト

全日本プロレスの四月十日広島大会、四月十一日福岡大会のダイジェスト・ビデオを見た。

いちばん強烈だったのは野村と対戦したジョーのクロスボディだ。両者、ロープの反動を利用してのぶつかり合いになったのだが、ジョーの巨体が画面の左端からすごい勢いで飛んで来て野村をのしてしまった。あれには一瞬、息を呑んだ。生きのいい野村も、あんなのをくらっちゃひとたまりもない。大型トラックか機関車に正面衝突したようなものだ。

ゼウスのドロップキックもそうだが、身体の大きい人が宙を飛ぶと迫力がある。

ゼウスを相手に新技のエンドゲームで勝利を納めた青柳のコメントも印象に残った。彼はインタビューの会見場の床にころがりながら、「怖かった」を何度か繰り返したのである。「怖かった」この正直な感想は新鮮に響いた。しかし怖かったからこそ、ゼウスに勝ったことは彼にとって大きな意味を持つのだ。これから青柳はこれから徐々に上位の選手に勝つようになるだろう。ジェイクや野村とともに、ヘビーを面白くしていってほしい。

ディラン・ジェイムスは身体がちょっと大きくなったような気がする。宮原に逆水平チョップを何度も食らわせていたが、その音がばしんばしんと響いて痛そうだ。迫力の増した彼は、たぶんもうすぐ三冠を狙って名乗りをあげてくるだろう。ジョーに負けないくらいのパワーを持っている。

Sunday, April 14, 2019

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 23-28)

範例
I
(a) He is all smiles.
(b) He is all nerves.
(a) 彼は實にニコニコしてゐる。
(b) 彼は實にビクビクしてゐる。
II
(a) He is all eagerness.
(b) He is all attention.
(a) 彼は一生懸命である。
(b) 彼は非常に注意して居る。

解説

All + Common Noun
All + Abstract Noun
の形は
     |Common Noun.
Full of + |Abstract Noun.
Very, extremely + Adjective.
と解す可し、即ち
I
(a) He is all smiles.
    = He is full of smiles.
    = He is very smiling.
(b) He is all nerves.
    = He is full of nerves.
    = He is very nervous.
II
(a) He is all eagerness.
    = He is full of eagerness.
    = He is very eager.
(b) He is all attention.
    = He is full of attention.
    = He is very attentive.
參考
次の文中 full of (much, soft) は all に改むることを得。
  He is full of much kindness and good; and 'tis my belief that we shall bring him to better things.
    W. M. Thackeray
    彼は中々親切な善い人ですから了簡を改めさせる事が出來ると思ひます。

    She, who was ordinarily calm and most gentle, and full of smiles and soft attentions, flushed up when young Esmond so spoke to her, and rose from her chair.
    W. M. Thackeray
    平素は落着いて物靜かで、にこにこしてよく氣のつく女であつたが、エズモンドが斯う云ふと顔を眞赤にして、椅子から起ち上つた。

用例
I
1.  Passe-partout was all eyes and ears.
    Jules Verne
    パスパツーは眼を?り耳を澄まし一生懸命注意して居た。
2.  When I spoke to him kindly he was all smiles in a moment.
    Miss Alice Bacon
    私が彼に親切に話し掛けると彼はにこにこして喜んだ。
3.  He, poor man, was all bows, and scrapes, and pretty speeches.
    Mrs. Craik
    可愛さうに彼は一生懸命御時義をしたり、足ずりしたり、御世辭を云つたりして居た。
4.  I have often bought a much better man than either of you, all muscles and bones for ten guineas.
    O. S. Marden
    わたしはこれまでに僅か十ギニ出してお前さん達のどつちよりももっと立派な筋と骨ばかりと云ふ男を買つた事が幾度も有つた。
5.  You were an ugly little wretch when you came to Castlewood -- you were all eyes, like a young crow.
    W. M. Thackeray
    お前がキヤッスルウッドへ來た時には見つともない餓鬼だつたよ、烏の子のやうに眼ばかりでね。
6.  'I have one,' said I, 'who is all spurs and moustaches, with never a thought beyond women and horses.'
    C. Doyle
 私は云つた「私の部下に鐙だらけ、髯だらけ、女と馬の外は何も考へて居ないと云ふ一人の男が有ります」。
7.  I wished to make a brilliant reply, but I could think of nothing save Lasalle's phrase that I was all spurs and moustaches, so it ended in my saying nothing at all.
    C. Doyle
 私はうまい返辭をしようと思つたけれども鐙だらけ、髯だらけと云ふラサールの言の外は何も考へ得なかつた、それでとうとう何も云はずに終つて了つた。
8.  A little month, or ere those shoes were old
    With which she follow'd my poor father's body.
    Like Niobe, all tears.
    Shakespeare
    たつた一と月…ニオベのやうに涙にそぼつて柩をば送らせらたれた其履もまだ古びぬに。
9.  "What sort of fellow is this Moonlight?" I asked, all eyes and ears at the thought that my companion was a real police-officer.
    「このムーンライトつてのはどんな奴かね?」私は其男が本當の刑事だらうと思つて一心に問うて見た。
10. One morning she went forth to pay her visits, all smiles, such as she thought captivating; she returned, all tears, such as she thought no less endearing.
    Mrs. Inchbald
    或朝、彼女は之なら可愛ゆからうとにこやかな笑顔を浮かべて訪問に出掛けて行き、それからまた、之も同じく可愛からうと今度は涙ぐんで歸つて來た。
II
11. But proceed -- I am all impatience.
    E. A. Poe
    併し先きを話して下さい、聞きたくてたまらぬから。
12. Her uncle and aunt were all amazement.
    J. Austen
    彼女の叔父も伯母も非常に驚いて居た。
13. "Mr. Darcy is all politeness," said Elizabeth, smiling.
    J. Austen
    「ダーシーさんは仲々丁寧ですよ」とエリザベスは笑ひ乍ら云つた。
14. Reggie saw that the little girl was all eagerness to warn her aunt.
    W. L. Queux
    レギーは少女が伯母に注意しようと一心になつて居ることを知つた。
15. All Castledene wondered with him -- indeed for some days the little town was all excitement.
    M. Clay
    キヤッスルデイーンの人は皆彼と共に訝かしんだ、實にキヤッスルデイーンは數日の間大騷ぎであつた。
16. Beatrice was all life and animation; her gay, sweet words charmed every one who heard them.
    C. M. Braeme
    ビヤトリスは實に生き生きして居て、其快活な可愛い聲は聞く人を皆喜ばせた。
17. Though they did not talk much, and had but few tastes alike, Margaret was all devotion, all attention to her child.
    C. M. Braeme
    二人は餘り話もせず、趣味を同じうすることも極少なかつたけれども、マーガレットは眞心こめて其子にかしづいて居た。
18. Curiosity and timidity fought a long battle in his heart; some times he was all virtue, sometimes all fire and daring.
    R. L. Stevenson
    好奇心と臆病とが胸の中で長い間、戰つて居た。或時は無闇に大人しくなつたり、或時はまた矢も楯も堪らぬと云ふほど夢中になつたりした。
19. "Are you ready to hear it?" "Quite. Please explain. I am all attention."
    W. L. Queux
    「話しませうか」「はあ、どうぞお話し下さい。よく聞きますから」。
20. The officers were all attention as Fritz, holding his father's hand, related his story.
    N. N. R. V.
    フリツツが父の手を握つて話をすると將校連は一生懸命聞いて居た。
22. He spoke in a curious, strained tone, and the man addressed noticed that his companions were all attention.
    W. L. Queux
    彼は妙なぎくぎくした調子で話した、而て相手の男は仲者の者が皆一生懸命注意してゐる事を知つた。
22. For, though elated by his rank, it did not render him supercilious; on the contrary, he was all attention to every body.
    J. Austen
    何故かと云へば彼は地位が高いから大きく構へては居たが人を眼下に見下すやうな事は無かつた。却て彼は誰に向つても至極丁寧であつた。
    on the contrary 「之に反して」「却て」。
23. My wife had been for a long time all attention to his discourse; but was particularly struck with the latter part of it.
    O. Goldsmith
    妻は久しい間この問答を一心に聽いいて居たが其終りの方をきいて特に心を動かした。
24. They now seemed all repentance, and melting into tears came one after the other to bid me farewell.
    O. Goldsmith
    彼等は今本統に後悔したらしく、涙を流して交る交る私に暇を告げに來た。
    melting into tears 涙を流して、one after the other 順々に。
25. "I am all astonishment. How long has she been such a favourite? -- and pray, when am I to wish you joy?"
    J. Austen
    「わたし本當に驚いたわ、何時からそんなに可愛がられて居るの? それから何時お喜びを申上げる事になりますか」。
26. Indeed, she seems in better spirits than I have ever known her; she has been to me all love, and tenderness, and comfort!
    W. Irving
    實に家内は私が之までに見た事の無いほど機嫌がよく、私をば實に愛して呉れ、優しくして呉れ、且つ慰めて呉れた。
27. The very difference in their characters produced  a harmonious combination; he was of a romantic, and somewhat serious cast; she was all life and gladness.
    W. Irving
    性質が違つて居るから却てうまく調和が出來て居た、男は浪漫的で稍や眞面目な性質、女は實に生き生きとして且つ愉快げであつた。

Friday, April 12, 2019

実際に読んで見なければわからない。

最近はなんにでも「評価」がつけられる。食べ物屋にも、病院にも、電気屋にも、本にも、ほとんどすべての商品や施設に評価がつけられる。そしてそれを見て、食べ物屋や病院や本を選ぶ人がいる。

わたしは本の評価に関しては唯我独尊、他人の意見を一切認めない。いい本かどうかは、自分で読んで判断する。もちろん自分の鑑賞眼、読解能力には自信を持っている。

わたしは文学史の教科書には出てこないような、マイナーな本を主に読むけれど、そういう本の中にも、なぜこれが無名のままなのかと驚くような名作が多々あるのである。わたしが今までに訳した本は、すべてそうした作品である。無名ではあるけれど、質においても着眼点においても注目すべき小説。わたしはそうした作品を発掘するのが楽しい。

そうした作品を見付けるたびに、世間の評判というのは案外に疎漏なものだ、と思うのである。

Wednesday, April 10, 2019

ゼウスのドロップキック

四月九日に行われた全日本プロレス島根大会のビデオが、公式 YouTube チャンネルにあがっていたので見てみた。

四試合のダイジェストだが、最初にゼウスと宮原が戦い、ゼウスが勝った。ゼウスは最後まで体力が切れることなく闘いきり、身体の張りもすばらしい。調子があがっているのではないだろうか。

宮原は営業に於いても、リング上に於いても、その機動力がすごい。技のたたみかけはさすがである。彼は膝の攻撃を持っていて、この膝がすばやく動いてゼウスを針のように刺していた。あの鋭さ、早さ、たたみかけが宮原の真骨頂だ。

ゼウスは上体の力を誇示した技を多用するため、どうしても技と技とのあいだに時間がはさまる。そのかわり、一発一発の技のダメージは大きい。もっと膝を使った攻撃を身につければ、チャンスがつくれるのではないか、とわたしは思ってしまうけれど、しかしそれがゼウスのポリシー、あるいは個性というものだろうか。

しかし彼はひとつ、すごい足技を持っている。それがドロップキックだ。相手をロープに飛ばして、みずからは高く跳ね上がり、両足で帰ってきた相手を吹っ飛ばす。一試合に一回くらいしか出さないけれど、あれはなかなか見事だと思う。ゼウスの鍛え抜かれた全身が宙を舞うのだ。ほかの選手のドロップキックとはひと味ちがう感銘を与えてくれる。ボディビルダーというのは筋肉は盛りあがっているけれど、飛んだり跳ねたりという敏捷性に欠けるという印象がある。しかしゼウスのドロップキックはそんな既成概念を打ち破ってくれるのだ。ボディガーのあざやかなフロントキックと好一対をなす。

ほかの三試合も全部面白かった。とりわけレッドマンは楽しいレスラーで、好感を持った。この人の試合はもっと見たい。

Monday, April 8, 2019

著作権に気をつけろ

もう何回か書いたけれど、アメリカでは二十年ぶりに今年から新しい作品がパブリックドメイン入りすることになった。今日もふとプロジェクト・グーテンバーグのカタログを見ていたらアガサ・クリスチーの「ゴルフ場殺人事件」が入っていて思わずにこにこ顔になった。この作品は一九二三年に発行されたものなのだ。

ちょっとだけ説明すると、アメリカと日本ではパブリックドメイン入りする作品の条件がちがう。日本では作者の死後五十年(もうすぐ七十年に法律が改変されるだろう)が経過した作品はパブリックドメイン入りするが、アメリカでは出版年が問題となる。今年でいうと一九二三年か、それ以前に出版された本はパブリックドメイン入りしたと考えられる。来年は一九二四年に出版された本が付け加わる。作者が誰かと言うことは関係ない。出版年で決まるのである。

アガサ・クリスチーの「ゴルフ場殺人事件」は既に言ったように二三年の出版だから、今年はパブリックドメイン入りをした。しかしこれはアメリカの話であって、日本ではこの作品はパブリックドメインに入ってはいない。クリスチーが亡くなったのは一九七六年だから、二〇二七年になってはじめて日本ではパブリックドメイン入りすることになる。(もちろん著作権の保護期間が七十年に改変されれば、二〇四七年にパブリックドメイン入りすることになる)ここを気をつけて欲しい。「ゴルフ場殺人事件」はネット上では自由に読めるようだけれど、じつは日本にいる人がダウンロードしたりすることはできないのである。

こういう作品はたくさんあるから気をつけなければならない。とくにこれからは気をつけなければならない。なぜかというと日本では著作権法が改正され、パブリックドメインでない作品をダウンロードした場合は処罰される可能性が出て来たからだ。(漫画作家たちが大勢懸念の声をあげ、新しい法案は一時的に取り下げされたようだが、いつまた同じ内容の法案が提出されるかわからない)

プロジェクト・グーテンバーグが所蔵する作品の最後には、ファイル使用に際しての法律的注意が長々と示されているが、英語が出来る方は、あれを一度チェックしておくのがいいだろう。

Saturday, April 6, 2019

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 21-23)

範例
But when all is said, he is the greatest statesman of the age.
But When all is said and done, he is the greatest statesman of the age.
But after all said and done, he is the greatest statesman of the age.
併し要するに彼は現代第一流の政治家だ。

解説
When all is said
When all is said and done
After all said and done
  = When everything is explained
  = After all
何のかのと云つた所で
何と云つても
煎じ詰むれば
歸する所
要するに
結局

用例
1.  But when all is said, he was not the man to lead armaments of war, or direct the councils of a State.
    R. L. Stevenson
  併し要するに彼は艦隊を指揮し、國政を左右する底の人物ではない。

2.  And, when all is said, it is no great contention, since, by her own avowal, she began to love me on the morrow.
    R. L. Stevenson
    要するにそれは大きな事では無かつた、と云ふのは、彼の女は自ら誓つて其翌朝から私を愛しはじめたからである。

3.  And when all was said and done I did not like this tale of the presence of Hendrika with countless hosts of baboons.
    H. R. Haggard
    詰る所、私はヘンドリカが無數の狒々を連れて來たと云ふ話をば好まなかつたのである。

4.  As I said to Mrs. Pennyfeather, young women may be very well in their way, but when all is said and done, they are not as nice as the old ones.
    E. F. Fowler
    私がペニフエザー夫人に申しました通り、若い婦人は若い女としては頗る善いでせう、併しさうした所で老婦人ほどよいと云ふ事は有りません。
    in their way「彼等は彼等で」「若い女は若い女で」。

5.  These would have been of great assistance at such times, in using the sweeps, as well as afterwards in fishing -- somehow, although we ran the risk ourselves, we had not the heart to let young ones get into danger -- for, after all said and done, it was horrible danger, and that is the truth.
    E. A. Poe
  これ等の奴等はこんな場合には櫂を使はせたり後では漁をさせたりして大變役には立つが、併し自分等は危險を冒しても若い奴等をあぶない所へやる氣はしない、と云ふのは、何のかのと云つた所で、中々どうして恐ろしい危險だから、そして之は本當の所だからだ。
  ran the risk 危險を冒した

6.  But a phrenologist is a hundred thousand times worse. His sole object is to discover that one's head is a mass of abnormal excrescenses -- all lumps, and bumps and humps. Oh! it's disgusting, dear -- positively disgusting! And when all is said and done, he doesn't pretend to tell more than one's character. Now, don't care a fig for my character.
    H. C. Pemberton
    併し骨相學者の方はそれよりはどの位いやなものだか知れやしない。骨相學者の目的つたら、人の頭が病的突起の塊だとか――やれ、痰瘤の力つ瘤のつて、そんな事ばかし捜し出すんだもの。おゝ、いやな事! さうしてそんなに大騷ぎした所で分るつて云ふのは人の性質丈だもの。所がわたしや、性質なんてもなあどうでもいいの。
  don't care a fig 「少しも構はぬ」a fig は「少しも」なり、pin, rush, cent, button , rap 等もこの意味に用ひらる。

Friday, April 5, 2019

「量子力学の謎 物理学が意識と出会う」

ブルース・ローゼンブルムとフレッド・クットナーという物理学者が量子力学と意識の関係について素人向けに書いた本である。翻訳が出ているのかどうか知らないが、良書ではあると思う。わたしはいつも思うのだが、アメリカで出されるこうした「入門書」は質の高いものが多い。日本人の専門家が書いた入門書はつまらないこと砂を噛むが如しだが、アメリカで出される本は論点も明快だし、読んで興味深い。

量子力学が意識の問題にぶつかっていることは、もう大方の知るところだろう。観察することが観察対象のふるまいに影響を与えるだけでなく、観察対象を創り出す、そんな奇怪な現象に量子力学はぶつかっている。観察・意識とはなんなのか。彼らが疑問に思うのも当然である。

わたしはこの本を読みながらたえずテキストの問題を考えつづけた。量子力学と文学のあいだに妙なアナロジーを見出したからである。量子力学ではいま言ったように、観察者が観察結果に影響を与える。つまり観察者と観察の対象のあいだには、なんらかのインターアクションが存在していると考えられる。観察者は観察対象とはまったく別の超越的なレベルに位置しているのではないのである。これはテキストの問題においては、メタ言語は存在しないと言い替えられる。

このようなアナロジーはどこまで成立するのだろう、というのが、わたしが読みながらつねに考えていたことだ。量子力学で言う「重ね合わせ」とか「確率」というものはテキストの問題においてはどのように置き換えることができるか。結論はでないけれども、そういう思考をうながす本書は、意外なくらい刺激的だった。

ただし作者たちが量子力学の実験や理論について語っているところはよいのだが、最後のほうに入って「意識」について論じ出すと、ひどい。彼らに哲学や文学などの知識を要求するのはむりというものだが、しかしもしも量子力学者がこんなレベルで議論をしているなら、「謎」が解明されるのははるか先にならざるをえないだろう。ヴィットゲンシュタインの言葉の解釈も間違っているし、超越的な位置に関するマルクスやハイデガーやラカンやデリダらの議論も知らないようなのだから。誰かルネサンス的な人間、ガリレオ的な人間があらわれて知を統合しなければならないだろう。

Tuesday, April 2, 2019

ファンフィクションと著作権

フランシス・スパッフォードという作家がナルニア国の番外編を書いたそうだ。「石のテーブル」というタイトルで、「魔法使いの甥」と「ライオンと魔女と衣装箪笥」の間に起きた出来事を物語化しているという。出版されてないので当然わたしは読んだことがないが、スパッフォードは実力のある作家で、作品を読んだ関係者(作家や批評家や友人)はみんなすばらしいと言っている。現役作家がナルニア国のファンフィクションを書いた、と考えればいいだろう。

しかしC.S.ルイスの作品は著作権が存続している。だから「石のテーブル」は著作権を持つルイスの子孫が同意しないならば、2034年まで出版ができない。

もともとこの問題はファンフィクションにつきまとっていた。大好きな作家の創り出した世界を借りて多くの人が独自の想像をふくらませてファンフィクションを書いてきたのだが、オリジナルを書いた作者のほうは、まあ、剽窃行為が行われていることは知っていたが、目をつぶってきたのである。そのほとんどがアマチュアによる凡庸な作品にすぎなかったし、その程度の楽しみに法的介入を試みるのはまさしく野暮というものだからだろう。

が、今回は事情が違う。書いた人は現役の作家であり、内容もずば抜けている(らしい)。こんな本が出たらナルニア・ファンはさっそく手にして読むだろう。当然著作権者は面白くない。「原作の魅力を勝手に利用して、金をもうけやがって」ということになる。

著作権の認めるところ、著作権者は「石のテーブル」を2034年まで出版させない権利を持つ。一方ではそれに対して強力な反論が展開されうるだろう。つまり、著作権者はあらたな文化の芽、知の拡散を妨げている、という反論である。「石のテーブル」によって原作に対する新しい考え方、新しい批評的視点が付け加わるかも知れない。オリジナルの世界がより豊かになるかも知れない。そうした文化的な進展を阻害する権利が、はたして著作権者にあるのか。

著作権の考え方が時代に即していないという声が世界中のあちこちで起きはじめているけれど、今後も問題は継続し、しかもより大きな問題となるような気がする。

英語読解のヒント(145)

145. 付帯状況の with 基本表現と解説 He was sitting, book in hand, at an open window. 「彼は本を手にして開いた窓際に座っていた」 book in hand は with a book in his hand の...